高木 寛 の時事放談

  216号 令和3年1月1日

 
 
時事短編
昭和16年12月8日と山本五十六
押上から錦糸町

 この話はどこかで一度書いた気がしますが、思い出せません。
 この日早朝私は京成電車の押上駅から学校(東京府立第三中学)のある国鉄錦糸町駅付近まで1.5キロ程の道をこの日の三学期試験科目について考えながら歩いていました。
 ところが途中まで来ますと大きなラジオ放送の音声で
 
“ 帝国陸海軍は本日未明、東南アジアに於いて米英両国と戦争状態に入れり ”
が聞こえて来たのです。この日の試験の結果は散々でした。
たった4年 
 その日に決行されたハワイ空襲、その直後仏印沖で英国最新鋭戦艦「プリンスーオブ・
ウエールズ」と「レパルス」を撃沈、 翌年2月11日の紀元節にはシンガポール占領など、我が軍は次々と爀々たる戦果を上げました。
 しかし戦争が長引くに従い、米国の物量や新兵器の力に押され、海軍は昭和19年10月のレイテ沖海戦で主力艦隊の殆どを失うなど、敗色がハッキリして来ました。開戦以来僅か三年程のことでした。
山本次官の連合艦隊司令長官への転任
 例によって話が逸れます。
 明治23年に施行された「欽定憲法」は全く改正されないまま終戦で雲散霧消しましたが、軍隊には憲法を越える「交戦権」がありました。
 旧海軍では次官が統括する「軍政部門」と戦闘を司る「軍令部門」に分かれ、海軍次官が「軍政」を、軍令部長が「軍令」を担当する仕組みでした。
  山本五十六次官は若くから軍政系で、「米国駐在武官」を二度も勤め、世界の軍事情勢に精通していましたから「対米戦争などは論外」と言うことを政府部内で強調していたそうです。
 ところが陸軍では“世界の情勢に盲同然”の青年将校が「対米強硬姿勢」を強く主張し、これを邪魔する海軍・・特に山本次官・・の排除を狙っていたようです。昭和11年の二・二六事件と同様、彼等は反対人物の抹殺さえ考えていたと申します。
 これを知った米内光政海軍大臣(大将)は惨事を避けるため、山本次官(中将)を急いで連合艦隊司令長官に転出させたと言うことです。
 レイテ沖海戦に先立つ昭和18年4月、山本五十六大将はソロモン諸島ブーゲンビル島上空で米国航空隊の待ち伏せに遭い、戦死されました。
 うがった話では、山本元帥は暗号を米国に解読されていることを承知の上、戦死覚悟で出撃されたと言うことです。 
 なお山本元帥の逸話については「油壺から」で別に述べます。
(注)「元帥(ゲンスイ)」は階級では無く、功績の高かった「大将」に与えられる称号です。
スペイン風邪
何故スペイン風邪?

 第一次世界大戦(1914~1918年)中1918年に米国で発症、世界に大流行したスペイン風邪と呼ばれる病気があります。しかし戦争中では調査が出来ず、中立国のスペインでの事情が割合正確でしたので、この病気を一般に「スペイン風邪」と呼ぶようになったのだそうです。 この国はこのために大変迷惑してしまいました。
ワクチンと後講釈 
 第一次世界大戦中で、医学も今日のように発達しておらず、手当が広く行われなかったため、世界の罹病者5億人、死者2~5千万人と言われるほどこの病気は猖獗を極めてしまつたのです。現在のコロナ騒ぎの犠牲者が百万人単位で止まっているのは幸いと言わねばなりません。ただ近代医学の下で流行が始まってから1年も経つのに、まだこのコロナが峠を越していないのが問題です。
 このコロナのワクチンがいろいろ造られ、それらの出荷が来年初めにも始まる見込みで、我が国でもいち早く買い付けが行われたと聞きます。ところが“コロナ対策世界一”と豪語する隣国はワクチンの入手にも乗り遅れ、入手出来ない状態になっていると言うことです。この国は口と動作がいつも一致せず絵に描いたような
後講釈(アトゴウシャク)になります。
安倍と菅
禅譲(ゼンジョウ)

 「禅譲」
を辞書で引いてみますと“帝王がその位を世襲せず、有徳者に譲ること”と出ていて、“何の“わだかまりもなく友好的にその地位を譲ること”と解釈されています。
 7年以上もの間アシスタントの「官房長官」として総理に仕えた官房長官が、首相としての地位を継いだとしたら、それは当然「禅譲」が存在したと考えるべきでしょう。
恩を仇で返す平民
 ところが友好裡に首相の地位を引き継いだと思われてから二ヶ月も経とうと言うのに、菅が安倍と顔を合わせたのは僅か一回、それも極く短時間だったとしたら、誰でもおかしいと思うでしょう。しかも「桜を見る会」等という一旦済んでしまった些事を蒸し返すのを黙って見ている神経が分かりません。
 引き継いだ残りの任期を一年後に控え、菅が安倍とは“そりの合わなかったらしい?”党の幹事長と親しくしているとなれば、事態は複雑です。
 ここ何代も続いている「名門の首相排出家族」とは身分の違う“平民”の首相が同じ平民の“幹事長”と手を組んで自民党を“平民の手に取り戻そう”と考えているのかも知れません。・・・とは全く見当違いであることを祈っています。
やはり野に置け蓮華草
 しかし世界の情勢は一時代前のように自分の頭の蠅さえ追っていれば・・と言う時代は過ぎて、世界のどんな事態にも対処しなければならない時代になって来ています。これを見てか?菅の支持率が当初の高率から短期間に40%を切ってしまったのが驚きです。  その対策としては海外知識や自在に駆使できる「語学」も必要で、河野の時代に入って来たとも言えるでしょう。
K国問題
指揮権発動

 古い話ですが、昭和29年(1954)の造船疑獄の際、吉田首相が犬養健司法大臣に対し「佐藤藤佐検事総長に自民党の佐藤幹事長の逮捕を中止するよう指揮権を発動せよ」と命じたのが有名な
「指揮権発動事件」です。犬養大臣は頑強に抵抗したものの遂に吉田の命令に屈してしまいますが、その発動直後に法相を辞任しました。
 我が国はもとより文明国ではこの「指揮権発動」が認められてはいるものの、実際の「発動」は殆ど例を見ないそうです。
 ところが韓国法務大臣(女性)は(文の指示で)何回も検事総長に「この権力」を強請していたそうで、先日二者の関係がとうとう決裂しました。そこで文大統領が下した命令は「検事総長の二ヶ月の謹慎」で、法務大臣は辞職届けを出しました。 
検事総長の居直り
 従来ならこの事件は文の指示通りで終わっていた筈のところ、今回は検事総長の居直りで舞台は一変しました。
 最高裁はこの謹慎を解き、総長はたったの数日で現職に復帰、断固として文との対決姿勢を取ったのです。
 そこで今までになかった現象が現れました。世論の与党支持率が何と3割を切り、野党支持率より低くなってしまったのでした。
対北ビラ禁止法 
 北鮮からの脱北者について今までの韓国政府は保護や援助にをして来ましたが、明らかに北鮮側の文政権はこれを嫌い、開城工業団地の建築物の破壊や南北領海線での韓国人拉致、死刑等にも強く抗議することもなく、脱北者が自由世界の情報を風船などで北鮮へ送ることを禁じる
「対北ビラ禁止法」を制定したのには驚きました。
 これでは韓国がまるで北鮮の属国のようではありませんか。
コロナワクチンの入手
 韓国では今年の前半患者が大幅に減少し、文は“世界中で我が国が最も早くコロナから抜け出した”と高らかに宣言しました。ところがそれから二週間もしないうちに地方のキリスト教会で数百人と言う患者が一時に発生、その後全土で患者が続々と発見され、面目を全く失つてしまったのです。
 年末が近づき、コロナ・ワクチンが続々と発表されて来るに従い、先進各国はその入手に目の色を変えて努力しています。何種類もあるワクチンのどれを何時頃に入手するかの競争です。
 韓国政府はこれらワクチンの効能などには大変詳しい顔をして、自慢げにいろいろ述べていましたが、いざその入手になりますと“後手後手を踏み”大恥をかいています。
 我が国を含む先進国の殆どが年明け早々にも入手可能になったのに、どんな銘柄も韓国の入手は早くて 4月以後になったのが皮肉です。

          油壺から(105)
山本五十六元帥
人を動かす

 山本元帥で思い出すのは 〝やってみせて、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ〟と言う言葉です。
 これが名言だと感心する人は沢山いますが、本当に山本元帥が言った言葉かどうかは確認されていません。
 この言葉を具体的に“コーヒーを音を立てて飲むのは不作法だ。音を立てずに飲め〟と指示する場合に例を取りますと、
 1. 自分で音を立てずに飲んでみせる(やってみせる)。
 2. 〝音は唇と液体との摩擦によつて出る。唇よりも下にある液体を吸う
    からだ。カップの縁を唇より上に持ってきて流し込めば音は出ない〟
   (と言って聞かせる。)
 3. そこでその方法で飲ませてみる(させてみる) と音は出ません
 4. それ出来たじゃないか! と褒めてやる
ことで〝人を動かす〟ということです。
 しかし世の中には全く同じ出来事は殆どありませんから、この方式を実行しますと、どんなことでも全部やってみせねばならず、人を使うことは勿論、後継者を育てることも出来ません。
相手の能力を見る
 従って、人を使うにしても、育てるにしても、相手の能力に応じて、単に
 〝音を立てるな〟
と指示してあとは考えさせる。能力の多少落ちる者には
 〝音は摩擦で起きる〟
とヒントを与えてあとは考えさせる・・
と言うように後継者を育成せよと教えたのでしょう。
 ただ話がうまく出来ているところから、「作り話」だとも言われます。
長岡藩:生い立ち
 山本元帥は雪深い越後(新潟県)長岡の出身です。
 父親が56才の時に第六男として生まれたので、名前を「五十六=イソロク」と付けられ、海軍兵学校卒業後、明治38年の「日本海海戦」に出陣して重傷を負っています。
 幕末長岡藩は福島の会津藩と呼応して官軍に抵抗したため、維新後は薩長新政府から徹底的に冷遇されました。 
 と言うことは長岡が「反骨精神」の強い土地柄で、山本元帥も「負けず嫌い」、勝負事にも大変強かったと言うことです。
 幕末の長岡藩では家老河井継之助の取った藩の近代的な改革とともに、余裕ある藩財政を利用して大砲の採用、長門藩の攻撃計画などを行ったことで知られています。
顔形
童顔

 丁度一回り昔の12年前、フランク永井が亡くなったのを最後に昔なじみの歌手がすべていなくなりました。フランクは誰に聞いても童顔だと言いますが、それでは童顔とはどういう顔かと聞きますと、子供のような顔だと答が帰って来ます。しつこく子供のような顔とはどんな顔かと訊ねますと定義をしてくれる人はいません。
 人間は生まれた時は顔が丸く、目と耳とが並んで顔の真ん中より下についているのが 特徴で、これが童顔の定義です。そして年齢を重ね、智恵がついて来るに従い、目と耳とが一緒に並んで上に上がって行くことも確認されています。
 ここまで分かった時点で物事が解決したと普通の人は思うでしょうが、探求心が人一倍強い私はどうして人間の目と耳とは一緒に動くかと言う問題に取り組んで参りました。
 そして二年の歳月と彫心鏤骨(チョウシンルコツ)の苦心の結果、この程漸く、
 〝もし目と耳が一緒に動かなければ、眼鏡がかけられない〟
と言う解答を発見したとき、私は自分の天才を疑うことはありませんでした。
三白眼:各種の「目」
 “南国土佐を後にして~~”と言う歌がヒットしたのはつい最近のことだと思っていましたが、グーグルで調べてみますと、昭和34年のことで、丁度60年経っているのに驚きました。歌ったのはペギー葉山で、平成29年に亡くなっています。 
 彼女はなかなかの美人でしたが、残念乍ら典型的な
「三白眼」で、人相学上では「悪相」の部類に入ります。
 この三白眼と言うのは黒目の左右と下“三方”に白目が出る顔で、相手に陰険な印象を与えるところから骨相学上代表的な悪相と言われました。そこで人相に詳しい大ファンが何とかこれを改めさせようとして考えついたのが
「下目使い」です。目線を下に向けますと黒目は下へ下がりますから一時的にも三白眼が解消されると言うわけです。
 ところがこの方法が
「逆目」に出て、彼女の人気は下がるばかり。これが「落ち目」だと気がついたときはもう手遅れでした。
 そこでゲンを担いだ彼女は何とか人気回復の治療をして貰おうと有名な占い師を訪ねてどうすれば良いか聞きますと、彼は言下に
 〝アアもうこれは
「駄目(ダメ)だね〟
と答えたそうです。
 先日菅との戦いに敗れて首相になり損なった石破氏は典型的な三白眼です。
 
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