高木 寛 の時事放談

  183号 平成30年2月1日

 
 
 時事短編
悪化する日韓関係
笑わせるな

 ロウソク民主主義(大衆迎合主義=ポピュリズム)に乗って当選した韓国の文大統領は
内外の政策が裏目に出て失敗続き、慰安婦問題蒸し返しでまず国内の人気を挽回しようと必死になっています。しかし相手が鳩山、菅(直)などと言うハンパなのとは違い、安倍 だったのが運の尽き、“1センチも引かない”と言われ進退窮しています。
 文の協定反対理由は韓国民の反対と当時「被害者女性の意見を聞かなかった」と言う点にあるようです。今になって国民の反対等と言うのは抽象的且つ純然たる国内問題、国際的な二国間の約束を反故に出来る根拠にはなりません。しかも当時生存していた「慰安婦」と称する女性47人の中36人が我が国が提供した基金10億円から慰謝金を受け取っているのです。被害者の意見を聞かなかったとは法外な言いがかりで、彼女等の殆ど8割は協定に賛成したからこそ金を受け取ったのです。「ツートラック政策」‥笑わせるな!!・・と怒鳴りたくなるのは私だけではないでしょう。
ハイソレマーデヨ !!
 何時ぞや私は韓国有力紙の日本語版を毎日読んでいると申しました。中央日報、聯合 ニュース、朝鮮日報の三紙です。中央と聯合とは従来から「反日」、朝鮮の方は親日とは 言えないまでも「中立」的な新聞です。
 ところが面白いことに今回文大統領の「慰安婦問題」蒸し返しについてはこれら三紙とも表現の違いはあるものの歩調を合わせたように“それは無理・・・”と言う記事を書いています。詳細は省略しますが、過去何年かこの三紙の論調が揃ったのを見たことがありません。それでも文が世論に媚びて「慰安婦」を蒸し返そうと言うなら、我が国では“ハイ、ソレマーデヨ !!”と植木等の登場となります。
反日と反韓
 下表は日本と韓国間の観光客の数です。
  2013  2014  2015  2016 2017
韓国→日本  246  276 400  509  714
日本→韓国  267 222 158  230 233
(注)数字は人数(万人)
 我が国から韓国への観光客は年を経るに従い減少し(一昨年は多少持ち直しましたが) この5年で大逆転、日本人の渡韓数は来る韓国人の何と3分の1にまで激減しました。
今年は平昌オリンピックで多少ふえるかも知れませんが、それは一時的なものです。
 一方韓国からの観光客は、両国関係が悪化しているにも拘わらず、激増しているのが 不思議です。その理由を明瞭に説明しているマスコミはありませんが、円安、低価格航空便、反中国等を挙げる説が殆どです。
 しかし来る客の年齢を見ますと、韓国が日本領土時代に生きた老人や当時を逆恨みする年配者が来日することことは少なく、来るのは50才代台以下の若い人達が大半で、彼等は受けた教育と実情とがあまりに違うのに驚き、多くが再来日すると言われます。 
 また日本では「反韓本」が次々とベスト・セラーになっているのに、韓国では「反日本」は出版されないし、出ても売れないのは読者層の壮、青年層に反日感情が薄いからだと言う説があります。
反日は韓国にどんな利害?
 文大統領が慰安婦問題をムシ返そうとすれば、どんな結果になるかと考えてみますと、
① 日本からの観光客は更に激減し、2月に行われる韓国平昌冬期オリンピックへの
  日本の見物客も少なくなるでしょう。
② 一時は700億ドルにまで膨張した日韓の資金スワップ協定は切れてから1年、
  執拗な韓国側の復活申し出に麻生は全く知らん顔。3千億ドルあると言う韓国外
  貨準備には紐付き(米国々債等)が多く、正味の金額に問題があります。
③ 慰安婦問題の妥協は韓国朴前大統領が米国側の強い要請で実現したと言われます。 
  米国トランプ大統領はオバマのしたことには一々ケチを付けますが、この慰安婦
  問題 については何も言っていません。この時勢に何時までも過去に拘泥する韓国
  にはトランプも腹を立てているでしょう。
四面楚歌(シメンソカ)
 話が逸れます。
 中国で秦滅亡時の紀元前三世紀末項羽と劉邦が激しく天下を争いましたが、さしも武勇を誇った項羽が垓下(ガイカ)と言う孤城にヒシヒシと包囲され、夜になると故郷楚の歌が聞こえたと言う故事があります。そこで回りが全部敵になった状態を
「四面楚歌」と言うことはご存じの通りです。
 今韓国はと言えば、西の中国は「THAAD」、北の北鮮は「ICBMと核」、東のロシアは「密かに北鮮援助」、南の日本は「慰安婦問題ぶり返し」で東西南北すべてにソッポを向かれ、まさに「四面楚歌」を絵に描いたような状態に置かれています。
獅子身中の虫
 韓国前14代朴大統領、前々13代李大統領にはまだ対日友好のところもありましたが、 現在の文大統領の先輩で11代金大中、12代盧武鉉は国民に無断で北鮮に億ドル単位の献金をした程の左派で反日でした。しかし北鮮が何か返礼をしたことはありません。
 今回文がロウソク民主主義を押さえて、冬期オリンピックを実質北韓との共同開催に踏み切ったのは自分が「北」出身だと言う他に、自殺した三代前の盧武鉉の遺志を継いだもので、北鮮選手団帰国時「何億ドル」かを絶対に見つからない方法で金正恩に贈呈するに違いありません。しかしこれで韓国が「原爆攻撃」から逃れられると思えば安いものと彼は考えているでしょう。
「獅子身中の虫」とは彼のことです。
貴乃花事件
 先月号で「日馬富士事件」と書きましたが、いつの間にか日馬富士は主役を貴乃花に譲り
「貴乃花事件」と看板が変わりました。
満場一致の翼賛会
 前号で申しましたが、私は半世紀も昔から相撲に興味を失っていて、この事件がどんなもので、何が理由で起こったのかは殆ど知らず、どうせ“喧嘩両成敗”で終わると思っていました。
 ところが驚いたことに主犯の日馬富士の姿は画面から消えて、写るのは八角を議長とする理事会と池坊女史を頭とする評議会の二つが、“如何に貴乃花を罰するか”を論じる
場面ばかりです。
 そしてもっとたまげたのはこの二つの組織がそれぞれ
「満場一致」で貴乃花の二階級降格を決めたことです。複雑事件で多数の裁き役が全員一致の判断を下すことは一般世界ではまずありません。必ず違った意見を持つ人物がいるのが常識です。戦時中政府の方針を全員一致で承認し、国民を戦争へ駆り立てた「大政翼賛会」を思い出します。
世論の赴くところ
 おかしなことに最終決定機関の評議会の角界メンバーは理事会のメンバーより格下で、
しかもこの格下と民間メンバーの半分が会議に欠席しました。
 理事会も評議会も全員一致は不思議ですが、相撲界に限ってそれが通用しているのは反対したら「村八分」になるからに違いありません。しかし最も世間の関心を集めている最後の評議会で半分近くのメンバーが欠席したのは、本心は反対なのにそれが出来ないので休んだと解釈せざるをえません。もっと飛躍して言えば、貴乃花はこんな姑息な相撲界を改革したかったので、“出る釘が打たれた”のではないでしょうか?
 幸か不幸か、貴乃花が一ヶ月後の理事選挙に立候補する権限まで奪われたわけではありませんし、出れば当選する確率が高いそうです。しかし「池の坊」か「木偶(デク)の坊」か知りませんが、評議会の会長は、例え選挙で当選票を取っても理事として認めるかどうかは評議会の権限だと言っています。このオバさんかオバーサンかは知りませんが一目見るだけで“臭い”見本のような老婆で、この歳になっても欲だけは旺盛なことは明らかです。
しゃべりすぎとしゃべらなすぎ:忖度 
 ところで急に思いついたのは、「都民ファースト」の小池が殆ど失脚したのが彼女の
“しゃべりすぎ”が原因であることは万人の認めるところですが、貴乃花の今回の不幸は“しゃべらなすぎ、”が運の悪さの為すところのようです。
 悪女の小池はやはりこれこれをしっかり認識して、最近ではテレビにも出ませんし、大口を叩くおしゃべりもしなくなりました。 
 ところが貴乃花の方は事件が一応収まっても沈黙を守ったままです。このままですとあの「何とか評議会議長」を勢いづかしてしまい、相撲世界が彼女の考えを
「忖度」して、
貴乃花一派をのけ者にしようとするかも知れません。貴乃花は相撲界では「沈黙は金」が通らないことを知るべきです。
バルト三国
 私が取り上げる国は殆どが中国、韓国、台湾などのアジア諸国です。何故か? 他の国のことはあまり知らないからです。
 しかし先月安倍首相は欧州諸国歴訪の際、私には殆ど縁の無い「バルト三国」を最初の訪問国としました。
三国の構成と現状
 この「三国」は北からエストニア(人口130万)、ラトビア(200万)、リトアニア(300万)で人口は合計6百万そこそこ、元来それぞれ独立国でしたがソ連領となり、1991年同時に開放されました。隣同士の小国なので「バルト三国」と語られることが多いのです。
 一方ロシアはペッタリ自分の国に貼り付いている元領地の三カ国がEUに加盟、Natoに参加していて、海への出口を塞いでいるのが我慢出来ないようで、ウクライナの例をちらつかせながら、欧州から離れるように三国を圧迫しています。
海路一万五千余里と杉原領事
 昔海軍の兵隊だった私は「バルト三国」と聞いただけですぐ“ハーン”と思い当たったのは「バルチック艦隊」でした。現にこれら三国の目の前の海は「バルト海」です。
 明治38年5月、このバルト海を母海とするロシアの「バルチック艦隊」は
“海路一万五千余里万苦を忍び東洋に、最後の勝敗決せんと寄せ来し敵こそ健気なれ”
と軍歌に歌われましたように、スエズ運河のなかったこの頃、遥々喜望峰を回って対馬海峡に到着しましたが、待ち構えた東郷元帥の率いる我が連合艦隊に完膚無きまでに打ちのめされました。
 これを聞いた「バルト三国」はカンカンに怒ったかと思いきや、高らかに“万歳三唱”
して喜んだことは「トルコ」と同じで、彼等はロシアの圧政に悩んでいたのでした。
 しかも第二次大戦の折、リトアニア領事
杉原千畝氏苦心のビサ発行の恩恵を受けたこともあって、この三国は隠れた親日国なのです。
安倍首相の訪問
 いくら議会閉会中で暇だからとは言え、大きな取引も重要な政治関係も無いバルト三国へ安倍が時間を割いたのは、北方四島問題で散々痛い目に遭わされたロシアのプーチンへの当てつけとしか私には考えられません。・・・それは素人考えだと玄人は言うかも知れませんが、それならどうしてこの寒い最中日本の首相が三つ合わせて千葉県と同じ人口の
国々を訪問しなければならないのでしょうか?
 政府の説明によりますと、このバルト三国の訪問は「日本外交の巾を広げるため」と言うことだそうです。我が国が“国連安全保障理事会常任理事国に立候補”した時に賛成票を入れてくれるように頼むためなどと言う人もいるようですが、そんな細工をしなくてもこの親日/反ロの三国は決して反対票を入れることはないでしょう。
執念深いロシア
 ロシアが終戦時満州などにいた我が将兵や民間人60万人をシベリアへ拉致、6万人の生命を奪い、樺太南部と北方四島を強奪したのは許し難い暴挙です。しかしロシア人の中には日露戦争での日本海々戦や奉天戦の大敗北などの仇を討ったと言っている人間がいるそうで、人の良い安倍が狡猾なプーチンに騙されないことを祈ります。

            油壷から(74)
運命
運勢

 私事になって申し訳ありませんが、私が病気の家内を連れて老人ホームに入ったのは平成4年の夏、まだ老人ホームと言う言葉が一般に使われていない時代でした。海軍のクラス会で幹事の金子彰利が“今度高木が養老院へ入ることになった”と言ったくらいです。もっとも夫婦とも66才で老人ホームに入るのは今でも珍しいかも知れません
 入居者外出用に老人ホームでは一日に何回か定期バスを私鉄終点まで出しています。私も頻繁にこのバスを利用しますが、ホームと駅との僅か6キロばかりの距離に、時には15分、時には30分近くもかかるのを不思議に思っていましたが、途中12カ所の信号のせいだと気が付きました。そして入居から現在までこれらの信号に一度も引っかからず僅か数分で駅に着いたのは何回だったと思われます?何と25年間にタッタ一回なのです。 25年で一回、これが私の
「信号運=運勢」です。
出世
 昭和58年定年者慰労会で家内と一緒にいた席に熊谷社長がわざわざやってきて、
 “ご苦労様でした”と挨拶してくれました。
 帰宅してから家内が社長がわざわざ挨拶に来たのにビックリしたと申しますので、つい
 “彼とは若い頃机を並べていたから‥・”と口を滑らしたがもう手遅れ。
 “ずいぶん違っちゃったわネエ”という感想が返って来たことはどこかで書きました。しかし私はこれが自分の
「運命」だと思っていましたから、女房の言葉に少しも動揺しなかったと申し上げておきます。
出世の秘訣
 定年後「OB会」に出席しましたところ、現役中“嫌な奴”だと思っていた先輩が寄ってきて、
 “君とはいろいろあったが、これからは仲良くしようよ”
なんてぬかします。物事は何でも明瞭にしておくのが私の性格なので、ハッキリ
 “お断りします”
と言ったら、何か感情を害したようにアッチへ行ってしまいました。
 しかし先輩でも親切な人もいて、 
 “君には何時か教えてやろうと思っていたんだが、会社で出世しようと思ったら
  必ず実行しなければならないことがある”
と言うのです。どんなことかと聞きますと、
 “若いときに仕事をしない奴はバカだ。が、年取ってから仕事をする奴はもっと
  バカだ”
と言うことでした。年を取ったら仕事なんかそっちのけ、一生懸命「揉み手」して上役のご機嫌を取らねば出世出来ないと言う意味です。
 “こんな重大な教訓を定年後教えてくれても役に立たない。”
と文句言ったら、先輩は
 “俺だって定年後聞いたんだ。”
と愚痴を言っていました。
 このような
「出世の秘訣」を若い頃教えて貰えなかったのは私の「運命」だったことを92才を迎えようとしている今改めて感じています。

月月火水木金金

 “朝だ夜明けだ、潮の息吹。うんと吸い込む銅(アカガネ)色の・・・”
で始まる
「月月火水木金金」は今の若い人でも何となく知っています。今頃こんな歌を持ち出したのは昔は毎週が月曜日から始まっていたからです。
 終戦後でも昭和二十年代にはまだ「半ドン」と言う言葉が残っていて、土曜日は午前中で会社が休みになりました。この半ドンが楽しみで、事務所では午前中から今日は誰と誰が何処の雀荘で牌(パイ)を囲むかを密かに話合っていたものです。つまり翌日の日曜日の休みを前提にして一週間を締めくくることなので、週の終わりは日曜日でした。それなのに何故手帳やカレンダーが毎週日曜日に始めるようになったかは問題です。週の初めが“休み”ではその週全部がダラケてしまうではありませんか?
 棄てずに持っている手帳で調べて見ますと、週が月曜始まりは1992年(平成4年)で終わり、翌年から日曜始まり。月月火水~の健全思想が消えてから四半世紀経ったことが分かりました。
元号 
 暦については回教国ではイスラム暦を使っていて、金曜日が休日になっていますが、対外的には西暦に従っている国が殆どのようです。その他の国で元号を使うのは北鮮で、初代君主?の金日成の生年を元年にしていると言われますが、あまり聞きません。
 いずれにせよ私のような昔者は西暦で言われたら元号に換算してみるのが習慣になっていて、この頃の頭の調子では時間がかかります。ただ西暦1960~64年と1971~73年に限って元号では困るのはこの年月海外勤務をしていたからです。
 上の曜日と同じように手持ちの手帳で調べて見ますと、1964年からは表紙は西暦で我が元号は内表紙に小さく載るだけになっています。
父は兵庫に赴かん
 もう定年近くの昭和57年、東京勤務だった私は何かの用事で神戸へ出張することになりました。娘達が何処へ行くのか聞くので、
“父は兵庫に赴かん”と申しましたら、傍にいた家内が笑うだけで、もう大学を卒業していた二人は何のことか分からずキョトンとしています。
 楠木正成が息子の正行(マサツラ)との「桜井の別れ」で、
 “
父は兵庫に赴かん、彼方の浦にて討ち死にせん。汝はここまで来たれども~~”
と書いたのは落合直文で、小学唱歌にも取り入れられた有名な文句です。そしてこの一節は誰でも知っていると思ったのが間違いでした。しかしこの“桜井の別れ”が建武三年の
ことだったと言われてもピンと来ません。
 建武と言えば必ず思い出すのは後醍醐天皇でしょう。この天皇にまつわる話はいろいろありますが、彼が死んだ皇紀1999年を“ワンと叫んでキュー、キュー、キュー”と唱えた男が不敬罪で捕まったと言うのは、如何に戦前でも、ウソにきまっています。 
 この皇紀を西暦に直すには“皇紀ヨリ660引キ去レバ、出テ来ルモノハ西暦ノ年”でしたから、後醍醐がワンと叫んだのは西暦1339だったことが分かります。

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