高木 寛 の時事放談

  187号 平成30年6月1日

 
時事短編
米・北鮮関係の変遷
一瞬の妥結
 この二月、韓国文大統領のお世辞に乗った金正恩が妹を平昌オリンピックに差し向けたと思ったら、二人の韓国使節が平壌訪問、金正恩の態度豹変に喜んだ文はその二人をそのままトランプへ差し向けたのが3月でした。
 何階級も違う韓国の局長級二人を直接引見したトランプは金正恩との会見をその場で合意、日取りも5月と指定しました。このアッと言う間、トントン拍子の歴史的推移に驚かなかった人は誰もいなかったでしょう。韓国文大統領などは小躍りしました。
急速に動いた歴史
 一方金正恩は間をおかず3月北京に出向き、習近平と会談しました。6年間も不義理を重ねた金が習の機嫌をどう取ったかは知りませんが、長い列車で乗り付けて面会すると言う芸当をしてのけたのには驚きでした。しかもとって返した彼は4月末板門店で韓国の文在寅大統領と38度線を挟んで会見するなど、今までの内弁慶は棄てて、自ら交渉の場に出て来たのです。そのため歴史はビックリするほどのスピードで進んだように見えました。
二度目の訪中と豹変
 しかし5月9日の朝刊の一面を見てまたビックリしたのは一か月ほどしか経つていないのに金正恩がまた中国を訪問、習近平がわざわざ満州の大連まで出かけて二度目の会談を行ったことです。しかも前回とは違い、金正恩は近い大連まで飛行機で行ったのでした。
 北鮮は1950年の朝鮮戦争以来防衛も経済も中国の手厚い援助を受け、初代の金日成、二代目の金正日は中国に相当の敬意を払っていたのに、金正恩は中国と良い関係を持っていた張成沢を死刑にするなど反中的な態度を取ってきました。
 ところが習近平は3月に会ったばかりの金正恩を何と山東半島まで出迎えたのです。僅か一か月の間の事態の推移に対応する方策について話し合いが行われたのでしょう。
 金正恩の態度が一変したのはこの二回目の習近平との会見の後でした。訪問した米国の新任国務長官は歓迎せず、約束していた会議は開かず出席せず、など、それまでの低姿勢から一転して高姿勢に転じました。
ドロボウに追い銭
 北鮮に対する国際的な制裁は最近始まったものではありません。
 たった2千万程の人口の貧乏国が100万を越える軍隊を持ち、核開発や大陸間弾道弾の開発に金を使えば、国民が貧困の淵に沈むことは当然で、今になって“イタズラを止めるから、許して・・”と泣き叫ぶのは勝手です。
 過去北鮮の暴挙を制止するため数多く開かれた「六カ国会議」で、北鮮が承知したのを受けて五カ国が行った援助はすべて騙されて無駄・・
“ドロボウに追い銭”・・になっています。
リビア方式 
 そこでどこからか出てきたのが「リビア方式」でした。
 この方式はNATOが2003年リビアのカダフィに対して申し入れた
 “核を含む大量破壊兵器計画を放棄し、IAEA(国連傘下の国際原子力機関)の査察  による検証が確認された後、制裁を全面的に解除し、国交を正常化する”
と言うものです。
 同国の実力者カダフィ大佐はこの条件を受け入れ、リビアは国際的な孤立状態から開放され復活しました。この方式を縮めて言えば、「工事完成後支払い」方式です。原爆計画の完全消滅後に制裁が解除されるまでリビアが辛抱出来たのは同国の豊富な石油資源があったからでしょう。
 後に「アラブの春」で彼が死に追いやられたのはこの「方式」のためではありません。
完工時払いか、誓約時点拂いか
 ところが北鮮はこの「リビア方式」つまり「完工時制裁解除」の話が出た瞬間に大声で怒鳴りはじめました。
 彼らは前代、前々代が要求したように、核武装中止を誓約した時点で制裁解除、経済的援助を求めているのです。しかし今まで何回も騙されている「六カ国会議のメンバー」は“その手は桑名の焼き蛤”、決して認めません。
 もっとも北鮮にはもうそんな時間的余裕が無いとも言えます。
朝飯前
 しかし金正恩はトランプを甘く見ていたようです。
 今までの米国や西欧の首脳は北鮮が少し圧力をかければ確かに“一歩引く姿勢”を見せました。ところが金正恩はトランプが“駆け引きだけで世の中を渡り歩いて来た海に千年山に千年のシタタカ人間”だと言うことを考えなかったのは迂闊でした。不動産商売で六回も破産宣告を受けた彼は「カケヒキ」だけで生き残り、大統領になったくらいです。北鮮の世間知らずの子供を手玉に取ることなどは 
朝飯前 と言って良いでしょう。
君子豹変ス
 しかし北鮮の今回突然軟化の理由を説明してくれるマスコミはありません。荒れ狂っていた北鮮が急に韓国や中国に擦り寄り、その協力を得て国際的制約の根源である米国との融和を計ろうとする動機は何か?
 更に第二回目の習近平との会見後、金正恩の態度がガラリと変わったのは何故か?
またトランプがシンガポールでの会談をキャンセルすると、直ちに態度を軟化させ
“君子豹変” に早変わりしたのは何故か? 疑問は尽きません。
北鮮の対日態度
 一方金正恩は六カ国会議のメンバーのうち日本に関しては冷たい態度が目立ちます。 原爆実験場破壊の現場には日本のマスコミを除外していますし、拘束していた米国人三人は素直に返したのに、我が国からの拉致者については全く沈黙を守ったままです。
 安倍は拉致問題で点数を稼ぎ、つまらない学校問題で大幅に落ちた人気を取り戻す必要がありますから、この拉致問題は何としても成功させなければならないのです。
(注)北鮮事件は刻々複雑に推移していて私の力では追いきれません。ご了承下さい。
変な奴

反町の交代

 何時も見ている東京放送のプライム・ニュースの司会者が突然反町から松山なる人物に代わりました。
 反町(54才)についてはこの欄で何回か触れましたが、インターネットで調べてみると、彼はこの番組を09年から今年まで9年間担当していました。
 それほど長続きした他局のニュース番組が無いところから見て、視聴率は良かったと思ったら、最近は5%にまで落ち込んでいたそうです。
出演者:奢れる者久しからず 
 しかしこの番組には各界の主要な人物が出演し、安倍首相も時々顔を出したり、言論界の桜井よし子など有名人が常連のように出席していました。・・・と言うより、この番組に出られれば一流とさえ見られたくらいです。
 ただ何度も申しましたように、反町には“人を見てものを言う”頭の高い態度が目につくようになり、あまり名の無い人の発言はすぐにさえぎったり、無視したりするのが目にあまるようになりました。
 この点を誰かに注意されたのでしょう、そのような“小物”の言うことをさえぎらなくはなったものの、“ハイ、ハイ、ハイ”と連呼して早く話を止めろといわんばかり。その傲慢な態度は不愉快でした。
“奢れる者久しからず。”
パワハラ
 週刊誌などによりますと、今回の司会者の交替は「パワハラ」によるもので、反町がその地位と人気を利用して番組に従事する係員を“いじめた”のが原因だと言うのです。
 この頃よく“セクハラ”と言うことを聞くと思いましたら、そのSexal-harassment”に引っかけて“ Power-harassment=パワハラ”が出来たと聞きます。
 そんな面倒なことを言わずに“上役の脅し”と言えばすみそうですが、この頃は横文字を使わないと権威が示せないのでしょう。
消えた奴
 反町とは質が違いますが、先日テレビを見ていて古館伊知郎が突如NHKに出て来たのには驚きました。あの男が“何のカンバセあって復活して来たか?”63才の彼は何か強力なコネを使って潜り込んだのでしょうが、あれだけ“不評嘖々?だった男”が蘇つたのは全く意外で且つ不愉快です。
 これで思い出すのが日教組の影響を大きく受けた全学連時代から、不愉快な左翼言動で庶民を惑わせた悪辣な男たちです。
 久米宏(74才)や鳥越俊太郎(78才)はまだ生きているようですが、既に過去の人となり幸いに人目に触れませんし、筑紫哲也は死にました。唯一残っていていて癪にさわるのが“オリンピックをする金があるなら慰安婦に払ってやれ”と言った関口宏(74才)です。ただ彼の息子の関口知宏(45)は親父の変な思想には染まらず、紀行番組などに専念しているのは多少の救いだと感じます。
 また自民党総裁になりながら変に北鮮に肩入れして首相になれなかった河野洋平の息子の太郎が立派な政治家になったのは何よりでした。

           油壷から(78)
在庫品(1)
 段々書く事がなくなり、年のせいでくたびれて作業も長続きしませんので、倉庫に眠つている在庫を小出しに出荷することにしました。
山本夏彦
 超一流のエッセイスト山本さんが平成14年11月かに87才で亡くなり、寂しくなりました。
 〝朝日新聞と岩波書店ぐらい嫌いなものはない〟だの
 〝有史以来正義に名を借りなかった戦争は一つもない。だから正義で滅びた国は数
  え切れないが、ワイロで滅びた国はない”
など色々な名言を吐いた人です。
趙治勲
 囲碁のプロで韓国出身の趙治勲をご存じだと思います。
 この人は昭和37年6才で来日、木谷実九段の内弟子になり、記録的な好成績で十五才で五段になりました。九段が100人以上もいる現在とは違い当時の五段は一流棋士と見られたもので、新聞記者におめでとうと言われましたが、 
 〝私は五段になるために日本に来たのではない。〟
と答え、生意気だとマスコミに非難されました。しかし私は涙が出るほど感激しました。
 彼はその後、名人、本因坊、棋聖その他あらゆる称号を総なめにし、獲得したタイトルは70を越え、今タイトル総取りで全盛の井山もまだこの域に達してはいません。 
 またこの人はタイトル戦の最中、バカな新聞記者に
 〝大きな勝負では無心の境地になるのでしょうね?〟と質問され、
 〝無心なんてとんでもない、どうすれば勝てるかだけを考えている。〟
と答えたことでも知られています。
 この人の碁は取れるだけ地を取った後、敵陣に躍り込み、“さあ殺せ!!〟と居直るあまり上品とは言えないものだそうですが、プロでもその石を取るのはむずかしいところが彼の強さでしょう。
 それでは彼は真面目だけの無味乾燥な男かと思いますとこれが大違い。彼のテレビの囲碁解説は非常にユーモラスで面白いのです。しかも彼は
 〝アマチュアは初段くらいが相手も多く、面白く遊べるが、五段、六段などになる
  と理屈ばかり多くて可愛げがない。〟
と言っています。私が何時までも素人初段に甘んじているのは彼のファンだからです。
 また彼は夫人を失い、大きな自動車事故で重傷を負つたりしましたが、それらの痛手から立ち直り、六十才を越える現在もまだ現役として活躍しているのは嬉しいかぎりです。
舞の海
 平成8年7月場所舞の海は小錦に当たりました。その時の舞の海の言葉を借りますと、
 〝立ち上がったら、前は全部小錦だった〟小錦の言葉は
 〝立ち上がったら、前には誰もいなかった〟で、どちらもその情景を巧みに言い尽くしています。
 この時体重85キロの舞の海は牛若丸のように目にもとまらぬ早業で回り込み、アッと驚く小錦を後からのワザでしとめたのですが、285キロの下敷きになって大けがをし、一旦十両まで陥落したのにはみな同情しました。
 相撲で思い出すのは双葉山です。彼は昭和14年1月に安芸ノ島に敗れるまで、実に
69連勝したのですが、まだテレビの無かった頃、ラジオで土俵に上がる双葉山を
 〝35貫の巨体、ノッシ、ノッシ〟と言っていました。35貫(131キロ)は当時  の力士中でも重い方だったのでしょう。
 しかし舞の海と寺尾が引退後、平成の幕内力士で131キロ以下の力士を見つけることはまづ無理ですし、こう体重がみな重くなりますと、相手を軽々と投げる技を使うことが出来ませんから、櫓投げ、うっちゃり、二丁投げなどは見られません。
不動裕理
 女子のプロゴルファーの不動裕理を覚えておられるでしょうか?日本で最も短い期間に三十勝をあげ、僅か27才で永久シード権を獲得した女子プロゴルファーです。
 彼女の生涯獲得賞金はすでに10億円を越え、20才台の選手がひしめく中、もう40台なのに、まだプロとして試合に出ています。ただその風貌が若い選手のようにド派手ではなく、極く地味なせいであまり目立ちません。
 井崎脩五郎と言う滅多に当たらないのに人気のある面白い競馬評論家がいますが、どういうわけか不動の知り合いで、
 〝スコアが悪いときはどう考える?〟
と聞いたそうです。すると彼女は
 〝使っているクラブかコースのせいにする〟
と答えたそうで、私は転げ回るくらいうれしくなり、また涙が出るほど感激して、彼女のファンになりました。
 これだけのことは練習に練習を重ね、実績を積んだ選手にしか言えるものではなく、熊本出身とは言え、モッコス精神が満ち溢れているではありませんか?
マドロス
 戦前から戦後のかけて、マドロスの歌が大流行したことがあります。
 “パイプくわえたマドロス達の ふかす煙の消えゆく影に~~”
の「上海の花売り娘」 (昭和14年)や
 “男マドロス船出の酒に 酔ううて唄およ夜明けまで”
の「恋のマドロス」 (昭和12年)などがこれです。
 今の若い人にマドロスと言っても分かって貰えませんが、字引には“オランダ語、原語はマトロスで下級船員のこと。”と出ています。
 当時沢山のマドロス歌が世に出ましたが、その中に
 “粋な姿のマドロスさんが、パイプくわえて口笛吹いて”
と言うのがあり、みんな何気なく唄っていましたが、パイプをくわえながら口笛を吹くことは肉体構造上不可能なことを気がつく人がいなかったのが不思議です。


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