高木 寛 の時事放談

  188号 平成30年7月1日

 
 
時事短編
泰山鳴動シテ
 米朝会談とその後について述べますが、例によってズブの素人の言うことですから、あまり本気にされず、いい加減にお読み下さい。
鼠一匹
 
“泰山鳴動シテ鼠一匹”は“大騒ぎしたけれど結局何も起きなかった”と言う意味に使われる有名な文句です。
 泰山と言うからには中国の古典から出た言葉と思うでしょうが、実は我が国の造語で、作者も誰だか分からないそうです。
 この言葉を持ち出しましたのは6月12日のトランプと金正恩とのシンガポール会談は世界中が騒いでいたものの、出てきたのは何の変哲もない一般論だったからです。
檜舞台で大見得を切る
 トランプが金正恩に会うと言い出したのは金と面会した韓国の役人二人と会った5月のことです。この二人は普通米国大統領が面会する程の相手ではなかったのに、彼はその場で金正恩との会見を決めました。今思えば、これは彼が金正恩と会談する檜舞台を作るのを頭の中に描いていたのでしょう。
 ただそのために彼は金正恩が吞める条件を出さねばならないと思った筈です。我々西側諸国で殆ど結論に達していた「完全且つ検証可能で不可逆的非核化(CVID)=Complete Verifiable Irreversible Denuclearization 」と言う厳しい条件を付ければ如何に「乞食北鮮」でも調印はしないだろうと彼は思ったでしょう。 「リビア方式」だとか「非核完了後制約解除」なども金正恩が到底飲めないだろうとも考えた筈です。この結果出てきたのが具体的な条件が殆ど無い“生煮え”合意書でした。
 この会見で残ったのは
“檜舞台で大見得を切つた政治の劇場化“で、トランプは前任オバマが貰ったノーベル平和賞も狙っていると言われます。
拉致問題
 一方金正恩が必死で守りたいのは「彼一家の安寧」ですが、その他すぐにでも欲しいのは「金」と「技術」です。 
 世界の厳しい制裁を受けた北鮮では商品の流通機構は壊滅し、ヤミ市場が何の制約も無く市中に展開されているのが明らかになっています。1990年代ほどではなくても食糧事情は逼迫していて、軍隊でさえ新兵募集を見合わせているそうです。
 一方金と技術を出してくれるのは我が国ですが、それには絶対必要な条件があります。拉致問題と核問題の解決による国交回復です。特に拉致問題で一歩でも妥協すればその瞬間に潰れるだろう安倍内閣にとっては北鮮が一旦承知したこの問題の解決がのびのびになっているのに、イライラが募っています。
 何故金正恩がこの問題から逃げたいのか、その理由が分かりません。 
北鮮の鎖国
 シンガポール会談終了後北鮮が今後どのような形で存続するのかを論じたマスコミがないのが不思議です。
 北鮮が日、米、韓国など自由諸国に門戸を開くかと言えばそれは無理でしょう。    今世界に共産主義国は中国、ベトナム、キューバ、北鮮と四カ国ありますが、北鮮以外の国は「共産党独裁」・・人民の上に共産党がある・・なのに対して、北鮮では共産党や人民の上に「金正恩一家」があるからです。
 中国やベトナムは世界経済が導入されて国民の生活水準が飛躍的に上がつたために、共産党の天下は動きません。
 しかし金一族専制の北鮮で開放政策が行われた場合、外国の援助によって世界の大勢を知つた大衆は独裁の金一族を皆殺しすることは十分あり得ることです。このことを熟知している金正恩は米、日、韓と和解後も現在の鎖国政策を取り続けることでしょう。つまり金正恩には世界の援助を受けながら「鎖国」を続けると言う方策しか残されていません。しかし類例のないこんなことがいつまで続くかは“Nobody knows”です。
遂に中国の属国
 6月19日金正恩は突然北京を訪問、習近平と三回目の会談を行いました。去る12日のシンガポールでの米国トランプとの会談の報告だと言うことですが、中国の応対が今までの二回とはちょっと違います。
 一般諸国首脳の中国訪問は相当前からその予定が発表されるのとは違い、北鮮に関しては初代の金日成、二代目金正日、現在の金正恩までその訪中は前触れ無しの極秘裏になるのが普通でした。
 そして金正恩の一回目の北京訪問の際は帰国列車の出発後、二回目の飛行機による大連訪問は会談終了後、北京政府は彼の訪中を発表しました。しかし今回は到着当日に発表したのが大きな変化だとマスコミは報じています。
 金一族がその権力を維持して行くために中国の属国になったと考えれば辻褄が合うと書く新聞があります。
余計なこと
 日本にとって恐ろしいのは、金が「金一家の独裁を我が国に認めさせた上で」拉致問題を解決、経済問題などについて何事も我が国に相談してくるような「親日」になることです。
 そうなりますと、人の良い日本人はほだされて「憎い韓国」とは反対にホイホイと余計な援助までしてしまうのが目に見えています。
 さらにこういう扱いをされた韓国が「反北鮮」になるかと言えば、反対に北鮮贔屓の文は益々北鮮援助に努力するでしょう。
 北鮮にとってこんなにうまい話はありませんが、中国が裏で知恵を付けるのではないかと心配しています。
 どこかの週刊誌に載っていましたが、今の金正恩は影武者で、本物は一年も前に病気で死んでしまっているそうです。耳たぶの形が本物と違うのがその証拠で、彼の女房や妹は知っていて芝居をしているとその雑誌は書いています。デマとは思うのですが・・・。
片山晋呉の無礼
目立ちたがり

 我が国のプロゴルフアーに片山晋呉(45才)と言う選手がいます。
 或る試合の最終日に勝つと思って“本日は片山晋吾の日”と大きく書いたタスキを着けてプレーしたことがあるくらい
「目立ちたがりや」の選手です。
 規程の25勝を達成して「永久シード権」を獲得してから自己顕示欲が激しくなって、スコアの良かった試合の最終日に“本日は片山晋呉の試合”と大きく書いたタスキを着けてプレーしたことがあったくらいです。
プロアマ競技
 この男が先月茨城県の試合の前日行われた
「プロアマ競技」で一緒に廻ったアマチュアに
大変失礼なことをしたことが判明し、懲罰にかけられていることが分かりました。
 彼は自分のプレーを“見て貰う”ゴルフを“見せてやる”と勘違いしているのです。
 どんなスポーツでも観客が“人っ子一人いない”スポーツは決して成り立たないと言う三歳の童子でも知っている常識を知らなかった・・知りたくなかった・・のは無知もいいところでした。どんな罰になるのか楽しみにしています。
蛇足:晋呉
 
大体彼の名前「晋呉」は誰がつけたのか顔を見たいものです。
 と申しますのは中国の三世紀には魏、呉、蜀が並び立って「三国時代」と言われたことはご存知の通りです。
 しかしやがて蜀を滅ぼした魏は家臣である司馬仲達一族に奪われ、出来た「晋」は三国で最後に残っていた「呉」を滅ぼして、短いながら天下を統一しました。
 つまり「晋」と「呉」とは“血を血を洗う仇同士の国”なのです。その二つの敵対する字を組み合わせて作った
“晋呉”と言う名前が良かろ筈はありません。彼は生まれ落ちたときから不吉な運命を背負っていたのでしょう。
 段々材料が無くなって“つまらないことを針小棒大”に書くようになりました。悪しからず。
驚天動地・・同じ日に起きた
 6月19日、サッカー・ワールドカップで世界61位の我がサッカー・チームは16位のコロンビアチームに2:1で快勝しました。21回を数えるこの大会でアジアのチームが南米のチームに勝ったのは初めてのことだそうです。
 同じ6月19日、北鮮の金正恩は上記のように北京を訪問、習近平にシンガポールでの米国トランプ大統領との会見内容を報告しました。
 同じく6月19日、大阪を襲った地震では震度6を記録した地域もあり、思ったより酷い被害が出ました。
 同じく6月19日、今年引退した元世界一位の女子ゴルファー宮崎藍ちゃんが結婚を発表しました。
 同じ日にこれだけ色々な出来事があったのは珍しいと思っていましたら、なんとこの日は私の92回目の誕生日でした。
 偶然とは言え、こう重なると何か前世からの因縁を感じるではありませんか?

          油壺から(79)
在庫品処分(2)
池内 淳子

 家内は私と同じ大正15年生まれで、平成13年74才で死にましたが、その死後〝家内が死んだ〟と人様の前で言えるようになるまでに二年程の年月がかかったほどのショックでした。
 家内は若い頃からヤキモチなどは焼かないごくおとなしい世話女房で、記憶もそう優れている方ではありませんでしたから、私も気が楽に暮らしていました。
 あるとき私が家内に〝もし池内淳子がどうしても一生僕のそばにいたいと言ったら、悪いけれどお前は降りてくれ。〟と言ったことがあったそうです。勿論私は覚えていませんし池内とは一面識もありません。
 それから四十年、家内は病床からやせ細った指で私の手を握り、〝いつか池内淳子が一生お父さんのそばにいたいと言ったら、私に降りてくれと言ったわね。〟と言うではありませんか? この物覚えの悪い家内が半世紀も過去の冗談を覚えていようとは!と深く後悔したものです。
犬小屋が焼けた
 家内と私とは気質も考え方もまるで反対でしたが、幸か不幸か海外6年国内7年、合計13年の私の単身勤務があったのが夫婦生活が長持ちした原因だと娘達は言います。
 血液型が同じB型なのと赤ん坊と子犬が好き以外、我々には似たところは少しもありません。だいたいお風呂の入り方からして違っていました。私は脱いでから入るのに、彼女は出てから着る・・とは落語の話です・・。しかも年月が経つに従って性格の違いはますます大きくなって行きました。
 いきなり知人の山田さんのお隣から出た火が山田さんの塀に燃え移ったと言います。 それから?と相づちを打ちますと、
 〝知っているでしょう、あの可愛いポチの犬小屋へ火が移ったのよ〟
と申します。フンフンとうなずくと、
 〝風が強くて山田さんの母屋に飛び火しちゃったそうなの〟
と続きます。段々深刻になって来ましたので、それで? と促しますと、
 〝一階に寝ていた若夫婦が気がついた時には火の回りが早くて、逃げ出すのがやっと   だったと言うのよ〟
と申します。こうなりますともう後がありません。それから、それからとせかせますと、
 〝二階に寝ていた山田さんご夫婦はとうとう助からなかったの。〟
と言うではありませんか!!。
 ここまで来るともう我慢の限界です。腹が立って、腹が立って、
 〝どうして始めから山田さんが焼け死んだと言わないんだ!、犬小屋が焼けたから始め  るな!〟
と怒鳴ってしまうことになります。すると、
 〝だって、ものには順序と言うものがあるでしょう・・〟
となるのです。勿論これはたとえ話です。
 ご存じかも知れませんが、「日本セッカチ協会」と言う団体の今年度の「せっかち大賞」を私に授与することになったと言う案内状が届きました。受賞理由として 
 〝友人から手紙が着く前に返事を出したこと〟
とありました。
 このセッカチな私が「犬小屋が焼けた」話を最後まで聞く忍耐力が家内との夫婦生活を47年も長持ちさせたのを子供達は知りません。
我が生涯の最良の年:テレサ・ライト
 終戦直後有楽町駅前にスバル座と言う封切り映画館ができて、本邦始めての「ロードショウ」と言うものが行われました。
 その第一作は「アメリカ交響曲」第二作が「ガス灯」第三作が「我が生涯の最良の年」だったと思います。
 この「我が生涯・・」はかのウイリアム・ワイラー大監督、主演は高名な舞台俳優のフレデリック・マーチと女優テレサ・ライトでした。
 この映画を私は正規のお金を払って二度見ました。そしてこの此の世の人とも思えないテレサ・ライトの美しさに深く打たれ、西行法師ではありませんが、遂に妻子を捨ててアメリカに渡ろうと決心したくらいです。
 ところがそれが結局実現しなかったのは何を隠しましょう、結婚前だったからでした。
達磨:面壁九年
 インドの皇族だった達磨は六世紀中国洛陽郊外の少林寺で修行を積み、中国禅宗の開祖となった人ですが、厳しく長い座禅で今見る「オキアガリコボシ=ダルマさま」のように手足が固まってしまったそうです。・・この間トイレの方ははどうしていた?・・などのヤボな質問にはお答え出来ません。
 九年の修行中全く動かなかったので、彼のオデコと壁の間にクモの巣が張ってしまったと申しますが、これをダルマの
「面壁(メンペキ)九年」と申します。
 一方昭和11年の二・二六事件で反乱軍に殺された高橋是清は我が国財政の大御所で、その風貌から「ダルマ」と言うニック・ネームを貰っていました。
 昭和4年の大恐慌から立ち直った議会の財政演説で高橋大蔵大臣は声を張り上げて、
 〝粒々辛苦することここに三年!!〟
と見得を切りました。すると間髪を入れず野党の席から
 〝ダルマは九年〟
とヤジが飛んだのです。
 議場は笑いのウズとなり、折角の演説が滅茶苦茶になってしまいました。これが日本のユーモラスなヤジの見本と言われます。

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