高木 寛 の時事放談

  189号 平成30年8月1日

 
 
時事短編
天皇ご退位
西日本大災害

 大きな起伏はあったけれどまづは“メデタシ、メデタシで終わった”昭和とは違い、間もなく期限切れの平成は悪いことばかりだったと今年1月182号に書き、その災害として上げたのが次の6件でした。
 1991年(平成3年):
バブル崩壊始まる
 1995年(平成7年):
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件
 2005年(平成17年):
JR福知山線大事故
 2009年(平成21年):
民主党鳩山内閣成立
 2011年(平成23年):
東日本大震災: 失われた二十年
 2016年(平成28年):
東芝破綻、小池百合子が東京知事に当選
 そして今の天皇、皇后両陛下のご心配にも拘わらず、平成は“呪われた時代”のような気がすると書き加えました。  
 しかし残念なことにこの7月の始めからの「西日本豪雨」では大きな被害が出ました。この全貌は来月にならなければ分からないと思いますが、これを書いている7月末でも死者は既に220人を越えています。
 平成にはこれ以上の自然災害が出ないよう祈ります。
1989年(平成元年)
 一方昭和天皇が崩御、平成天皇が即位されたのは世界的にも大きな出来事が多かった1989年だったことを言う人はあまりいません。
 この年の大きな事件を列挙しますと、
  2月:ソ連のアフガン撤退・・1991年のソ連崩壊に繋がる・・
  4月:ペルーの日本大使公邸が暴徒に襲撃される。
  6月:天安門事件、
 11月:ベルリンの壁崩壊(鉄のカーテン崩れ世界融和始まる)
 12月:米国ブッシュとソ連ゴルバチョフとのマルタ会見で冷戦終結
ご退位の理由
 来年の天皇陛下の御退位により現在の皇太子が帝位を継ぐことが決定していますが、天皇陛下が御生前に退位され、皇太子が就位される例は明治以後ありません。
 どうして今?
 天皇、皇后両陛下の務められる行事は年間何百とあり、八十を遥かに超えられた両陛下には大変な重荷であろうことは理解できます。しかし陛下のご不例は今まで何回もあつたことですし、大正天皇の時代は昭和天皇が摂政として行事を代行されています。今回はどうしてこの方法がとられなかったのか理解出来ません。今の皇太子夫妻、特に皇太子妃は現在の皇后陛下の後を継ぐには身勝手で未熟過ぎます。
天皇家 
 先日どこかのテレビで見ましたが、世界にいくつか存在する王国は英語で書くと
「Kingdom」でトップは「King=王様」です。しかしわが国は「帝国=Empire」で天子は
「Emperor=皇帝」と呼ばれることになっていて、英国のエリザベス女王は我が天皇には一歩を譲ると書いた新聞もあります。
 一方我が国について何事にも難癖をつける韓国では我が天皇を「天王」と呼び捨てにしますが、中国では正しく「天皇」と書いています。
硬貨
 ここで問題になるのは来年新元号になる前の「平成表示」の硬貨です。
 ご存知でしょうか?昭和は64年で終わりましたが、この「昭和64年刻印」の硬貨がもし手に入ったら家宝として永遠に保管するべきだと或るヨタ新聞が書いていました。
 しかし昭和64年の終わったのは1月7日で造幣局はまだ正月休み中でしたから、硬貨の鋳造はされておらず、もしあったらそれは間違いなく「ニセモノ」です。
 ところが平成が三月まで続くことは決まっていますから、1~3月の硬貨は当然平成31年で鋳造されます。これを手に入るだけ集めて百年ほどしまっておけば子孫は大金持になるでしょう。但しこれは内緒です。
平成の民主党内閣と安倍内閣:雲泥の差
 ご参考までに平成時代の民主党内閣と次の元号まで続くであろう安倍内閣の実績とをちょっと挙げてみますと: 
  民主党時代  現在の安倍政権    公的年金運用益  安倍政権で56.5 兆円増 
   
名目GDP  493兆円  551兆円   企業年金運用益 安倍政権で29兆円像 
 
株価  8,664円  22,319円    国・地方税収 民主党時代
78.7兆円 
現在の安倍政権
102.5兆円
 
有効求人倍率  0.83倍  1.59倍  
  外国人観光客  870万人 2869万人
正社員求人倍率   0.50倍  1.08倍   
  同 消費額  1.1兆円 4.4兆円
雇用  安倍政権で251万人増   
  農林水産物
輸出額 
4,497億円  8,071億円 
企業の経常利益   50兆円 81兆円  
 
上の表のように極端な差が出て来ます。
(注)民主党時代の数字は
〔悪いところ取り〕安倍内閣の数字はは【良いところ取り】で、   偏っていますが、私は右翼です。ご了承下さい。
文藝春秋の偏向
文春の左傾

 2014:朝日叩き、2015:嫌韓記事、2016:安倍内閣の閣僚叩き、2017:倒閣運動、2018:反安倍・・・で文春は明らかにおかしくなり始めました。
 このような文春の左傾に気がついた私は今年初めから買うのをやめ、ホームに置いてある「週刊文春」も読まなくなりました。
オウムの死刑執行と文春社長との関係
 話が全くソッポへ逸れますが、7月6日にオウム真理教事件の主犯6人の死刑が執行されたと聞き、私は“なんだまだ執行していなかったのか?”と呆れました。
 ところが“麻原の知能検査も終わらないうちに死刑を執行するのはけしからん”と言う意見が新聞の片隅に出て来たのに驚いたのです。
 その意見の主「有田芳生」がどこかで聞いたようだった名前だったので調べて見ますと、「オウム真理教事件」が始まった頃、新聞を賑わしていた人物でした。彼は共産党を離党、社会党から民進党と渡り歩き、現在は立憲民主党の比例代表議員になっているそうですがすっかり忘れていました。
 この有田が“文春の松井清人社長は自分の親友で、彼が社長になってから文春の内容もまともになった”と嬉しそうに発言していたことから、文春(文芸春秋と週案文春を含む)が左傾化していた理由が判りました。
文春松井社長失脚 
 松井と言う人物は生え抜きながら文春では珍しく「左翼系」の人物で、有田の共産党時代からの友人だそうです。それがどう言う吹き回しか二年程前に文春の社長に就任していました。文春系の右翼雑誌「諸君」が廃刊されたのがこの頃だったかも知れません。
 しかし文春(月刊誌)が盛んに「朝日新聞叩き」や「嫌韓」をしていた平成15年までと違い、松井が社長になった平成16年からは上の「自民/安倍叩き」が始まり、17年には「倒閣運動」まで左傾したのは事実のようです。
 ただ文春を読むのは殆ど中年以上の年配者で、読書習慣のない青少年は読みませんから、文春(月刊、週刊とも)の発行部数は見る見るうちに大きく減ったのは当然でしょう。
 そしてこの5月、経営不振の責任を取って松井社長の退陣が決まり、松井氏が指名した次期社長も否認されましたが、汚染は消えませんしもう挽回は無理でしょう。
 岩波の月刊誌「世界」は書店には出ていますが買う人が殆どないのは誰でも知っているのに敢えて挑戦した松井もついに憂き目を見ました。 
 有田がガックリしたのが目に見えるようです。  
余談:潰れて行く書店 
 また話が逸れますが、三浦市の中央にあった「つたや」と言う書店は今年2月末に閉店、また河津桜で有名な三浦海岸駅の近くにあった書店も最近閉店しましたので、人口4万人の三浦市には本屋が一軒もなくなったことになります。
 文春(雑誌)は買おうと思えば、コンビニで手に入りますが、右翼、左翼に関係なく、本を買う人口が減っているのも明かです。
世界は五つ
GDP

  ① 米国 ② 中国 ③ EU ④ 日本 ⑤ ロシア 
GDP  20.2兆ドル 13.1兆ドル 12.3兆ドル 5.1兆ドル  1.5兆ドル
 上の表は今世界を代表している国(EUは独、仏、英、伊、和だけの合計)のGDPの表です。五位は1.6兆ドルの韓国ですが、政治的な力はありませんので次位のロシアを格上げしました。今世界の中心となっているこれら五国の間の友好関係は当面次の通りとして話を進めます。
 「E  U:]  ×××「ロシア」 ***「中国」 〇〇〇「日本」 △△△「米国」
 「中 国」  ×××「米国」 △△△「ロシア」 ***「日本」
 「米 国」  ×××「ロシア」 〇〇〇「日本」
 「ロシア」  ***「日本」
 (注)「×」=悪い 「〇」=良い 「*」良かったり、悪かったり、 「△」善悪不同
世界は五カ国
 世界は上の五カ国で出来ていると言っても“言い過ぎ”ではないでしょう。しかしこれらの国々相互の関係は区々で、その関係が時とともに変わるのが難しいところです。
 例えば中国とロシアはともに共産主義国でしたから良いと思ったら大間違いで、国境 紛争で戦争をしていますし、ロシアが自由主義国になってからも沿海州の紛争などで首脳の往復なども極く稀で、毛沢東時代から親密とは決して言えません。
 EUはその成立やNATOの結成などから見ても米国とは親密の筈ですが、トランプが大統領になってからNATOの費用問題などで深刻なトラブルが起きています。     
 またEUは当初中国の「一帯一路」に賛成していましたが、チラチラして来た中国の領土的野心を感じて警戒していますし、欧州諸国がロシアをヨーロッパの国と見ていないことは前に書きました。
 一見良いように見えている「安倍とトランプの仲」もイザとなって見なければ安心は出来ません。良く見えたプーチンとの関係も蓋を開けてみたら“四島は一切返さない”で冷却したままです。
それにしても
 それにしても不思議なのはGDPが韓国にも及ばないロシアがどうしてあれだけ大きな軍備を持ち、ウクライナのクリミア半島を取り上げたり、シリアに強力な支援をしたり出来るかと言うことです。 
 韓国と言えば、昔で言う“二股膏薬”で、アッチに着いたり、コッチに寄ったり。世界に友達や味方はいません。我が国は日本海(失礼?韓国では東海)を隔てて北鮮と国境を接していると考えた方が良さそうです。

ノーヒット・ノーラン

 今月号の締め切りを控えて最後のマトメに入っていた7月27日の夜、巨人山口投手の「ノーヒット・ノーラン」を幸運にもこの目で見たので書き加えることにしました。
準完全試合
 新聞ではこのノーヒットノーランは我がプロ野球では79人目で回数からいえば90試合目と報じています。
 ご存じのように「無安打、無得点試合」では「四球(フォアボール)」は許容範囲で、今回の山口投手もたった一つではありましたが四球を出しており、若しこれが無かったら最高の「完全試合=パーフェクト試合」になっていたところです。従って山口の今回の結果を
「準完全試合」と呼ぶ新聞もあります。
 ただこの「ノーヒット・ノーラン」や「完全試合」は野手のエラーをヒットと判定されたり、フラフラ打球がラインの上に落ちたりしたために出来なかったことが数多くありますので、必ず名投手によって作られるとは限りません。反対に今年今までの成績が8勝6敗の山口投手を名投手と言う人はいません。
 今までこの「ノーヒット・ノーラン」を記録した有名投手は金田、杉下、堀内、江夏、などで、槙原はたった一人のランナーも出さなかった「完全試合」を記録しています。
千載一遇
 新聞はこの記録が出たのはセントラルでは四年ぶりとか言い極く稀な記録です。しかも放映中の試合が「ノーヒット・ノ-ラン」になったと言うケースはその何十分の一、それを自分の目で見ることが出来たのも何十分の一と思えば、可能性は何万分の一にもなり、私の場合は92歳で初めてで、もう死ぬまで決して見られないことは確実です。
 これを
「千載一遇」と申します。
野手の心配
 先日米国プロ野球の回顧番組を見ていたら、野茂投手が「ノーヒット・ノーラン」記録を作った時の相手チームの捕手の談話が出ていました。
 彼によると、回が進んで九回になりますと「ノーヒット・ノーラン」の完成を前にして投手方チームの野手は“球が決して自分のところへ飛んでこないように・・・”と神様に祈り、緊張の余り相手チームの選手が“クリーン・ヒット”を打ってしまってくれ・・”と願う選手さえいると言うことでした。
 こんなことを頭に見ていたら、「ノーヒット・ノーラン」が完成した瞬間、巨人の守備選手が大きく安心した模様が画面いっぱいに映し出され、ただ茫然としていた山口よりも印象的でした。
山口選手の素行
 この稀な業績の陰に隠れて誰も口にしませんが、彼には「暗い蔭」があります。
 昨年8月、彼は都内の病院で暴れて警備員にけがをさせたので、傷害と器物損壊の罪で書類送検され、球界では罰金と年内の出場停止処分となつています。
 彼は父親が相撲の幕内力士で厳格に育てられたようですが、その反動が出たのかも知れません。

           油壺から(80)
在庫処分(3)
物を拾う

 「明治拾わず、大正捨てず」と言う言葉をご存じでしょうか?
 「誇り高い明治の人は道に落ちているものを拾うようなはしたないことはしない。」 「物資不足時代に育った大正人は一旦手に入れたものを捨てるようなことはしない」と言うことです。大正生まれの私はどんなつまらない物でも捨てないので身の回りに山が出来ています。
 また大正人は落ちている物を拾うのは得意です。足下を見ながら歩かないと拾えないと言うのは間違いで、前方をよく見ていなければ髙価なものは拾えません。行き過ぎてから引き返すのはたいへん勇気がいります。
 また拾得物をすぐにポケットへ入れるのは違法ですし危険です。拾ったものは必ず手に持っていなければなりません。そして近所の商店などで交番の場所を聞くことをお勧めします。この場合通りがかりの人に聞いてはなりません。交番までついてくるお節介がいるからです。人目につかなくなってから交番を通り越してしまうかどうかはその人の良心の問題です。
 なお拾った物を届ける場合、相手を間違えるとその良心が報われないことになりますから注意しましょう。電車の中や駅の構内で拾ったものを駅に届けますと、拾得者は駅になり、持ち主が出てこない時に所有権に問題が生じますから、拾得物は駅前の交番に届けるべきだと友達が教えてくれました。但し交番までの道中では必ず拾得物を手に持って行かねばなりません。
三原脩と長島茂
 60年も昔の話で恐縮ですが、セントラルリーグで何時でも最下位の大洋ホエールズが昭和35年一躍優勝しました。シーズン末の川崎球場、3:2で大洋がリードしていた9回表、2アウトでランナー2・3塁と言う場面でした。一打出れば逆転です。
 相手チームの有名なスラッガーが打席に立ち、カウント1ストライク1ボールから大きなホームラン性のファウルを打ちました。するとダッグアウトから三原監督が血相を変えてピッチャーズマウンドへ飛び出して来て、土井捕手を呼び寄せ、空いている一塁ベースを指さしながら大声で何事か指示して引き上げました。
 投手の秋山が投球フォームに入ると土井は立ち上がり、とんでもなく高い球が二球続きました。三球目も捕手は立ち上がり、打者は当然のように投球を見送つたのですが、これがド真ん中のストライクで打者は三振、ゲームセットになりました。
 三原は二人に最初の1・2球は敬遠球、3球目は目をつぶってど真ん中に投げろと命じたのです。 当時私はアフリカに居て一週間遅れの新聞でこれを読み、さすが三原だと感心しましたが、この手は二度と使えなくなったのは当然です。
 ここで思い出すのが「いわゆる一つの」監督です。いかに自分が天才的な打者だったとしても、“良いか? 球がスーッと来たら、バーッと打つんだ”と教えて打撃が上達した選手がいたでしょうか? 長島コーチのことです
子沢山  
 古い話を持ち出して申し訳ありません。中国で9世紀と申しますと唐・・それも中唐・・韓退之と言う大変な秀才が出ました。彼の兄の孫、韓秀成が死んだとき、韓退之は有名な「十二郎ヲ祭ル文」を書きました。我が国でも落合直文がこの日本語訳を書いています。
 十二郎とは男兄弟の十二番目を意味すると教わりましたが、日本でも戦前は大勢の兄弟、姉妹のある家が珍しくありませんでした。
 今竹と言う家も子沢山でしたが、一人でも良いから女の子が欲しいと思った父親の希望にも拘わらず、何と十番目までが全部男の子だったのです。そこでもうこれが最後と母親に因果を含めて生ませたのがまたまた男児でした。
 この十一番目が我々の組にいたのですが、兄貴がみな一郎、二郎・・・十郎と言う名前だったのに、この男だけが「将明」と言う名で、彼はいつも
 〝俺は今竹将明(イマタケマサアキ)だ、今竹将明だ〟
とうるさく言っていたのを覚えています。
 終戦後小学校の同窓会で、ちょうど欠席していた今竹の話が出たとき、或る同級生が 
“彼の名前を「音読み」してみろ”と言ってニヤリと笑いました。
 〝今竹将明=コンチクショウメ〟
父親がいかに悔しかったかが分かります。
 1億2千7百万の人口がどんどん減る一方、60歳以上の年寄りがどんどん増えると言う現在の暗澹たる日本の現状を見ますと、“コンチクショウメ”時代がたいへん懐かしく感じるではありませんか?
薬剤師
 江戸中期、京都に氏、素性のはっきりしない藪井竹庵(ヤブイチクアン)と言う医者がいました。飲む、打つ、買うの三拍子揃ったヤクザのような男で、見立ては悪いし、治療は下手でしたから、「藪医者」と言われ診療所にはカンコ鳥が鳴いていたそうです。
 しかし誰にも取り柄はあるもので、彼の作る薬は良く効いたので、薬を調合する者を「ヤクザのような医師」・・「ヤクザ医師」・・「ヤクザイシ」・・「薬剤師」と言うようになったのを発見したのは何を隠しましょう、この私です。
 ちょうどこの頃石見銀山の副産物の砒素が殺鼠剤として使われ、「猫いらず」と言う名前で珍重されました。ただこの薬は強烈に嫌な味がしますので、これを使って密かに人を殺そうとする時は甘い饅頭の中に仕込んで使ったものです。従ってこれを「餡殺」と言ったのですが、いつの間にか「暗殺」になってしまったのを見つけたのもこの私です。

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