10.浴 恩 会 の 記 録
 
 海軍経理学校同窓会
「浴恩会」約一世紀の歴史に幕
   矢吹 二郎 (海経36期・浴恩会事務局長)
 ・
  浴恩会は、昨年11月28日、最後の総会「終戦60周年記念浴恩会総会」 (海軍経理学校同窓会第40 回大会 ) をグランドヒル市ヶ谷で盛大に開催した。そしてその決議に基づいて、本年3月31日、靖国神社にて「浴恩会・海軍経理学校同窓会終会報告慰霊祭」を厳修して終会 ( 解散 ) した。  
 「浴恩会」は、海軍経理学校に学生、生徒又は練習生として在校した者及び各海兵団において主計科練習生教程を終了した者をもって会員とする、海軍経理学校の同窓会である。
 海軍経理学校は、明治7年10月、東京芝山内に会計学舎を設けて生徒教育を開始したことに端を発するが、爾後「主計学舎」、「海軍主計学校」、「海軍主計官練習所」等、呼称や制度の変遷を経て、明治40年4月海軍経理学校が設置され、同42年四4月、第1期生17名が入校し生徒教育が開始された。第1期は、我々在校時の校長紺野逸弥主計中将のクラスである。この海経1期のコレスに当たるのは、海兵40期、海機21期である。( 私は36期で兵75期、機56期とコレスに当たる)
 ここに、海軍兵学校、海軍機関学校、海軍経理学校のいわゆる海軍三校による海軍士官養成の制度が整ったわけである。
 下表の『浴恩会会員内訳表』に見るとおり、生徒総数は、昭和20年4月導入された陸軍の幼年学校に当たる予科生徒39期601名を含めて2,768名である。
 実務の中核を担う下士官の教育も海軍経理学校の重要な使命とされ、明治22年8月開始された練習生教育は、生徒教育に併行して、終戦による廃校まで連綿と続けられた。
 練習生には普通科、高等科の2教程があり、受験資格を得た者に対し各鎮守府において同一内容の試験を実施し、合格者を入校させた。彼らは教程終了後艦船、実施部隊に配属され、帝国海軍の主計実務の中核を担ったのである。また、海軍経理学校には前記生徒、練習生の他に「短期現役主計科士官補習学生」という特筆すべき教育制度もあった。日支事変から太平洋戦争へと戦局の拡大に伴って、初級士官の人材確保が喫緊の課題となり、これに対応すべく創出されたのが、大卒者で就職先も決まっている優秀な人材を選抜して短期集中教育を施し、初級士官( 少・中尉 ) に任用し一定期間 ( 2年 ) 軍務に服させた後に元の企業や官庁に戻す、いわゆる「短現」の制度である。この主計科短現学生は、1期から12期までの計3,557名である。この中からは、澄田智元日銀総裁(4期 ) 、中曽根康弘元首相 (6期 ) 、故鳩山威一郎元外相 ( 同 ) 、故土田保元警視総監 (10 期 ) 、平松守彦元大分県知事 (12期 ) を始め政・官・財の各界で活躍し戦後日本を形作ってきた多くの人材が輩出している。
 戦後、学生・生徒・練習生出身者は、それぞれにグループを作り交流を続けていた。学生は「主計科短現会」に、練習生は本来各鎮守府籍であったので、横鎮の「白桜会」に、それぞれ集約されていき、やがて自然に生徒を中心に大同団結の方向に動き始めた。
 その最初の集まりが昭和34年9月27日、400名が参加して銀座スヱヒロで開催された「海軍経理学校同窓会全国大会」であった。それから5年を経て昭和39年5月10日第二回、更に2年後の昭和41年10月1日、八芳園に469名が参加して「海軍経理学校第三回同窓会並に浴恩会創立総会」が行われて、戦後の「浴恩会」が発足した。
 「浴恩会」の名称は、明治42年海軍経理学校で生徒教育が開始された際、校内の一画に松平楽翁 ( 定信 ) 邸の名庭園「浴恩園」が残っていたため、第1期生徒がそのクラス会の名称として命名したもので、後に海軍経理学校生徒出身者同窓会の名称となった。この会は太平洋戦争終結と共に消滅したが、戦後再発足した経理学校同窓会が「浴恩会」を正式名称として継承することになった。
 浴恩会の総会は、昭和44年10月4日の第4回以降、欠けることなく開催されてきたが、残念ながら諸般の事情にかんがみ昨平成17年11月28日をもって最終総会とすることになった。
 誕生、消滅、再生と辿って約一世紀を経た今、ついに終会に到った経緯について述べておく。
 浴恩会は、回を重ねるにしたがい、血の通った温かいものになり今に到っているが、経理関係の海上自衛隊員、海上自衛隊 OB には類似の組織がなく、水交会が海上桜美会と合同して後図を策したような訳に行かず、高齢化による会員の漸減もあり、長い将来にわたって存続する事は望み得ない状況にある。これを享けて平成16年6月「浴恩会の在り方検討委員会」を設置、徹底検討の結果「終戦60周年である平成17年総会が丁度第40回大会であり、終会とするに適切な区切り目である」との結論に達し、平成16年の総会において、その旨を決した次第である。
 平成17年11月の最後の総会は、中曽根元総理以下の会員357名が出席して、グランドヒル市ヶ谷で盛大かつ和やかに開催された。平均年齢は80歳に近いと思われるが、海軍経理学校を戦後人生の原点としている参会者一同、若かりし昔に還って楽しいひと刻を過し、最後の校歌を斉唱して、一抹の寂しさを胸に散会した。
 そして、冒頭に述べたように、総本年3月31日、靖国神社において最後の慰霊祭を行い、浴恩会はその活動を終結した。
 神前に捧げた祭文、「・・・浴恩会はここにその使命を了え本日をもって幕を閉じることとなりました。 : ・・・祖国の戦後の荒廃から今日の繁栄へ、会員それぞれの道を歩みつつ、最善の力を盡して参りました。60年間の足跡を顧みて、万感胸に迫るものがあります・・・」に会員の思いが凝縮している。
  
           往時茫々
    勝関橋に佇んで築地の旧校の方角を眺めれば、
   東京魚市場の一隅になっていて昔を偲ぶものは何もないが、
   隅田の流れは60年不変である。
   しばし感慨にふけりながら橋の袂の小公園に到ると、
   そこに昭和51年4月に浴恩会が建てた「海軍経理学校之碑」がある。
    この地と海軍経理学校の関わりを示す数少ないモニュメントである。
   是非一度訪ねて頂ぎたい
 ・
 ****************************************************************************************************************
 
          浴恩会会員内訳表
 本表は生徒35期、坂本克郎が昭和60年版浴恩会会員名簿に基づいて、同年9月末現在でまとめられた表を、昭和62年7月31日現在で修正したものである。
 ・
 
 
 
 
                                           


  

 BGM 吹奏楽 太平洋行進曲 東京消防庁音楽隊