築地会の入賞者一覧(赤字は38期)
回数 年 次 開 催 場 所 優  勝 準 優 勝 第 3 位 取切り優勝者 参加人員
1回 昭63秋 東京よみうり 瀧本哲郎 中村文男 澤山隆一 14
2回 平元春 東京よみうり 鳥取高明 金子彰利 澤山隆一 16
3回 平元秋 東京よみうり 太田修平 中村文男 西村忠弘 20
4回 平2春 東京よみうり 中村文男 18
5回 平2秋 東京よみうり 金子彰利 鳥取高明 菅原常雄 16
6回 平3春 東京よみうり 金子彰利 谷口充宏 高木 寛 16
7回 平3秋 東京よみうり 佐藤貞一 城後昭彦 瀧本哲郎 18
8回 平4春 東京よみうり 高木 寛 田中正彦 渡邉満雄 19
9回 平4秋 東京よみうり 佐藤貞一 谷口充宏 枡井雅一郎 20
10回 平5春 東京よみうり 谷口充宏 太田修平 鳥取高明 鳥取高明 17
11回 平5秋 東京よみうり 西村忠弘 竹内成一 高橋元清 20
12回 平6春 東京よみうり 中川 健 金子彰利 高橋元清 20
13回 平6秋 東京よみうり 瀧本哲郎 古賀梶夫 渡邉満雄 16
14回 平7春 東京よみうり 鳥取高明 金子彰利 中川 健 13
15回 平7秋 東京よみうり 渡邉満雄 占部英雄 高橋元清 12
16回 平8春 東京よみうり 太田修平 瀧本哲郎 中村文男 瀧本哲郎 13
17回 平8秋 多 摩 和田 宏 渡邉満雄 中村文男 14
18回 平9春 多 摩 中川 健 古賀梶夫 鳥取高明 12
19回 平9秋 那須国際 西村忠弘 高橋元清 忍足文雄 14
20回 平10春 多 摩 忍足文雄 太田修平 中川 健 10
21回 平10秋 那須国際 西村忠弘 古賀梶夫 藤本欣吾 11
22回 平11春 多 摩 瀧本哲郎 鳥取高明 忍足文雄 11
23回 平11秋 多 摩 瀧本哲郎 渡邉満雄 太田修平 11
24回 平12春 相 模 西村忠弘 太田修平 藤本欣吾 11
25回 平12秋 多 摩 古賀梶夫 西村忠弘 渡邉満雄 11
26回 平13春 相 模 西村忠弘 瀧本哲郎 北村紀雄 10
27回 平13秋 相 模 北村紀雄 高橋元清 瀧本哲郎 11
28回 平14春 相 模 高木 寛 渡邉満雄 鳥取高明 13
39回 平14秋 相 模 鳥取高明 高橋元清 北村紀雄 11
30回 平15春 相 模 高橋元清 勝田純郎 北村紀雄 13
31回 平15秋 相 模 瀧本哲郎 北村紀雄 勝田純郎 11
32回 平16春 相 模 西村忠弘 鳥取高明 瀧本哲郎 10
33回 平16秋 相 模 高達虎二郎 北村紀雄 西村忠弘 瀧本哲郎 10
34回 平17春 相 模 西部 實 太田修平 瀧本哲郎 11
35回 平17秋 相 模 安部二郎 瀧本哲郎 勝田純郎 11
36回 平18春 相 模 鳥取高明 安部二郎 高達虎二郎 12
37回 平18秋 相 模 柴田栄治 高橋元清 瀧本哲郎 14
38回 平19春 相 模 西村忠弘 鴨田 守 室井 正 17
39回 平19秋 相 模 柴田栄治 高達虎二郎 安部二郎 15
40回 平20春 相 模 雨天の為流会
41回 平20秋 相 模 柴田栄治 西川壮治 西村忠弘 14
42回 平21春 相 模 柴田栄治 瀧本哲郎 鳥取高明 12
43回 平21秋 相 模 西村忠弘 柴田栄治 鳥取高明 11
44回 平22春 相 模 柴田栄治 鳥取高明 西村忠弘 11
45回 平22秋 相 模 西村忠弘 柴田栄治 高達虎二郎
 築地会は会員老齢化のため平成22年秋をもって閉会となった       
         三六会ゴルフ会について      中川  健

 昭和63年、三六会総会の席上で誰からともなく、囲碁同好会も盛況のようだし、そろそろゴルフ同好会は如何かとの話が出たので、まずは同好の士が集まってプレーしよう、その結果次第で継続性のあるゴルフ同好会を考えようと言う事になったのが本会の始まりである。
 偶々ゴルフ好きでもあり、吾々が世話人を引受けて、63年9月に千葉の茂原カントリークラブで賞品も用意せずに各自の申出ハンディキャップで兎に角腕を競った結果、滝本君が、グロス86、ネット72の好スコアーをマークした。
 プレー後一杯やり乍ら、コースも良かったし、大変愉快だった、是非本会を続けるべしと満場一致で決定し   
   @ 毎年春秋2回開催する
   A 名称は由緒ある築地会が良い
等々希望が出て、詳細は世話人会に一任となった次第。
 その後、早速の世話人会で、宮尾、田中 ( 正 ) 、中川( 健 ) の3人が常任世話人となり、三六会矢吹幹事と毎回の優勝者及びブービーがその都度幹事となって運営して来た。茂原を第一回築地会と追認して今回の平成8年5月9日で第16回を数えるに到った。
 開催コースについては種々検討したが、幸い吾郷教官がメンバーの名門東京よみうりカントリークラブを教官自ら多数のビジター枠の予約に大変な御盡力を頂き、一同感謝の外ないが、地の利もあり、本会が斯くも長く続いている大きな原因となっている。
 毎回プレー後のパーティーが盛り上がり、酒の量も増えて予算オーバーが気になるが、つつましい賞品の他に、寄贈賞品もあり、優勝や上位入賞云々は当然だが、特別賞、珍プレー賞の選定等賑やかだ。
 他の会と一寸違うのは、優勝カップが時々箱根を越えて西に行く事で、之れは毎回遠路遥々参加して呉れる鳥取君の為せる業で、今一つは、ブービー争い(?)だ。何しろ本会には連続5回のブービーを誇る矢吹君が居るからだ。
 しかし何時も数多い打数ながら1〜2打の差での死闘の末の結果で、一同大歓声を上げる事となる。同君の最大の望みは、優勝幹事となり、ブービー幹事に金子 ( 彰 ) 君を従へてプレーする事だとか。
 再度のハンデー改正もやって、誰にでも優勝のチャンスがあること故、今後の同君の精進次第では、21世紀を迎える大洗の初日の出を仰ぐ前日にアレンジされるであろう築地会では夢が実現することを願って居る。  
 本会は教官始めピーク時で47名の登録があったが、不幸、体調不良等で現在34名がアクティブメンバーだ。本会に参加希望の方々は是非世話人迄御一報乞う、大歓迎!
 最後に体調不良で休養中のメンバー諸氏が一日も早く本復され当会へ雄姿を見せられん事を祈念している。 
 (註; 中川 健君は、三菱商事(メキシコ・アメリカ)時代、タフ・ガイと言われていた程元気で張切りボーイだったがこの記事を書いたから間もなく(平成10年9月)他界された)
 
          その後の築地会       西村忠弘
  

 吾郷教官が足腰が弱くなられゴルフに出られなくなったので、長年使わせていただいた東京読売カントリークラブでの開催ををやめて、平成8年からはしばらく忍足文雄君のホームコースである多摩カントリークラブで開催してきた。
 しかし、忍足君も平成14年1月に逝去されたため、その後は開催場所を私のホームコースである相模カントリークラブに移し今日まで継続開催している。
 常任幹事も交代して現在は、渡邉満雄君、太田修平君と私が担当しているが、この頃は参加人員が10〜11名程度で、辛うじて3組の出走を保っている状況だ。
 相模カントリークラブは都心から近く、又小田急線中央林間駅からシャトルバスで5分と大変交通が便利であり、コースは全く平坦なので年寄りに向いている。健康維持のためにも何とか頑張って、もう10年は続けたいものと念願している。
 
 
平成19年10月  秋季築地会参加者  
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 相模カンツリークラブの風景
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