遠    漕
 ・
 
 ・
 
 ・
 
 ・
 
 ・
 
 ・
 
 ・
   










        海軍報道班員の目で見た遠漕の記録  
 ・
 昭和19年7月号 戦線文庫より
 ・
 海軍魂の最大発揮
 ・
 短艇遠漕記(生徒行事)
 ・
 海軍報道班員  文; 濱本  浩   画; 江碕 孝坪 
 ・
 (使用漢字は旧漢字を現代漢字に置換え仮名使いはそのままとした)
 ・
   海軍のカッターは、娑婆でいふボートのごとき、優しいものではない。長さ30呎、重量1噸半、平水で○○名の人間を収容することができる、頗る厳丈な代物で、荒海も乗り切れば、作戦にも堪える。隅田川では、少々舞台不足の感がある。
 双坐敷の六艇坐、二人宛並んで、十二挺の撓を漕ぐ。
 その撓が、長さ五米の鉛錘入りで、どんな腕自慢の若武者でも、馴れない間は、立てるだけに一苦労する
そうである。 
 ・
 
 ・
  もちろん、紅顔の生徒達も、入校当時は泣かされたことであろうが、今日この頃では、軽々と扱って、八時間二十何浬の遠漕にさえ、顎を出す者は稀である。何事も海軍式訓練の賜物と云はねばならぬ。
短艇は、起床後すぐに、ダビットから卸されてゐた。
 八時三十分、誘導内火艇を先頭に、××杯のカッターは、並列陣を作って、隅田川口、勝鬨橋畔の練兵場を出発した。
 内火艇には、校長、教頭はじめ、短艇監事副官、兵学教官など、学校幹部が坐乘してゐる。
 兩提督は別として、他の教官は、終日艇上に立ちつきりで、指揮をとってゐる。各艇隊には分隊長、各艇には指揮官が乗り組み、厳格、懇切に指導してゐる。
 海軍経理学校では、短艇訓練は、他の武道の体操・体技とちがって、勤務、教練の項目となってゐる。直接、作戦に関係のある訓練だから真剣である。
 荒川放水路に入って、再び並列陣を編成する頃から、南の風が俄かに吹きつのり、川波が立った。逆風で、漕手はさぞかし骨が折れるであろうが、一糸乱れぬ撓捌き、四十近いピッチで力漕してゐるから驚く。
 ・
 
 ・
  小松川橋付近から、一天俄かに掻き曇り、雷光雷鳴を交え、沛然たる驟雨が来た。生徒は事業服の上に丈夫さうな雨合羽を着用したが、意気益々昂った。
 ただ一杯、強風に圧されて、中洲に擱坐した。指揮官は、最近、南太平洋から帰還した大尉で、なかなか手荒さうであった。命令一下、生徒は褌一つになって、濁流に飛び込み、瞬時にして、短艇を引き卸したのは勇壮であった。
  雷鳴が益々激しくなった。折から接岸した内火艇の付近に落雷があった。たまたま連絡のために上陸した副官の身近に火の柱が立ったが、元気に副官は、雨中に突立って、にこにこしてゐた。
 自分は、現地の空襲を連想し、落雷を至近弾と見立てた。
 帰校後、短艇監事の講評中に、
 『本日のスコールは天与の試練であった。』
と云う意味の一節があったが、まことに戦時の訓練にふさわしい天変であったと感じた。
 ・
 
 ・
  驟雨一過、風は強いが、日光を見た。河口に近い閘門付近に、上陸し飯盒炊爨の演習後、午後二時過ぎの昼食を採る。スコールのために、予定時より遅れ、生徒達も甚だ空腹だったに違いない。
 炊きたての飯に、おいしい薩摩汁、青菜の浅漬けに、林檎まで添えられてゐた。林檎は生徒の意気昂揚に
と、先輩のある士官が、遠方から送ってくれたいわくつきの景物で、自分達までご相伴に預ったわけである。
 楽しい昼食に、荒天力漕の疲れも忘れ、帰航の途に就く。
 東京湾を左舷に望み月島の水道に入る頃から、生徒の技倆は益々あがり、教官も舌を巻く。立派な単縦陣形で、悠々と相生橋を通過した。
 西に傾いた春の日が、各艇尾の軍艦旗に輝き、神々しいばかりであった。
 自分は、本日の訓練を見学し、眼に見えぬ慈愛、峻厳の鞭を感じた。而も、鞭を受くる者の態度は、明朗にして真摯である。
 質実剛健、持久忍耐の精神を養い、自立協同の気風を自得せしめ、軍人精神を徹底せしむるには、まことに適当な訓練であることを感じたのである。
 ・
                                          
 

 BGM 如何に狂風 海上自衛隊横須賀音楽隊(歌唱)