昭和19年4月 戦艦「山城」での乗艦実習
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 昭和20年6月 巡洋艦  出雲・八雲での乗艦実習
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                                 乗艦実習の思い出      門脇 倹治
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  1.戦艦「山城」での乗艦実習
 36期生徒は、昭和19年4月7日横須賀にて戦艦「山城」に乗艦、貴重な実習体験を得て4月13日横須賀で退艦した。この間「山城」は巡航速度で木更津沖まで行きまた戻ってその航程を終えた。
 この間我々は艦の内部を隈なく巡り、各部の構造・機能を知り、その操作や運用方法を見学し、一部身をもって操作を経験することもあった。各部署の担当官の説明のほか、艦の副長兼運用長が実習全般につき気を配り、我々生徒によく対応して下さった。
 我々にとっての最初で最大の難関は、ハンモックの吊り方、収納の仕方であった。ハンモックを吊ってもそれを構成する紐の張力が一様均等に配分されず、部分的に引きつったりたるんだりで快適な寝具に作り上げることは難しかった。また、伝声管の傍や通気孔の近く、或いは、下への階段の昇降口の上だったりいろいろ不都合な条件の場所もあった。漸く要領を覚えて吊り方収納の仕方が楽にできるようになって退艦した。
艦内では火災延焼を防ぐため内壁のペンキ等塗装はすべて削り落とされ、また多くの室は軍需工場として手榴弾等の弾薬(弾丸)が製造されていた。
 前回「山城」での実習同様、艦内の見学実習は勿論だが、呉軍港関係の陸上諸施設も見学した。
 退艦後江田島にi至り、海軍兵学校を訪問した。江田島湾でまず眼に入ったのは、巡洋艦と覚しき艦船が、艦首の方、艦の半ばを海中に沈め、艦尾の方を空中に直立させた光景である。見るからにスマートで優美とも云うべく、夢に描いてきた艦のこのような姿態を見るのは何ともつらい限りであった。栗田健男校長の訓示のあと、我々はコレスの海兵75期生とエールを交換した。また、お互いのグループで校歌斉唱を披露した。
 その頃、我々経校では従来の校歌のほかに、”海軍経理学校70周年記念校歌”が制定されて間もなくの頃であり、校歌としてはさてどちらを歌ったらよいのかとの疑問が一瞬脳裡をかすめた。70周年記念校歌は作られたばかりで我々にとっては歌詞もメロデイも歌うには全く習熟しておらず、斉唱し対外披露などとてもできるものではなかった。(注2)
海兵の校歌が終り、次に我々経校の校歌斉唱の番になった時、我々がリーダー木谷ニ平君は間髪を容れず”築地の校歌を歌う”と宣言、我々は動揺することなく堂々と校歌を斉唱することができた。改めて木谷君の見事な采配ぶりに感心した。
 (注1) その頃蟹山久登主計少尉候補生(35期生)が磐手に配属され艦上勤務をしていた。35期刊行の記念誌にその当時の経緯を記した一文が登載されている由。
 (注2) 海軍経理学校70周年記念校歌は経校での発案により歌詞は我等が大先輩武井大助氏に依頼、出来たものという。武井大助氏(前海軍省経理局長、当時は軍令部出仕)は著名な歌人であり故山本五十六元帥とは歌の道で親交のあった人という。 
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 BGM 艦隊勤務 東京消防庁音楽隊(歌唱)