駈   け   足
 
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 駈足訓練について     瀧本 哲郎
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  海軍経理学校の生徒教育の中の駈足については、日常の生徒生活の随所での行動の躾としての駈足と、脚力・忍耐力を鍛錬するための訓育のそれとに大別できる。
 駈足というのは、勿論速く走るということではあるが、駈足には、早く疾走するばかりでなく、ゆっくり走ることも含まれる。
 さて、生徒生活の中における躾としての駈足は、居住区である生徒館と校庭で隔てた場所にある教室や道場及び短艇等の訓練施設、若しくは、その他の機材置場に往き來する場合、必ず駈足で往来する。また、二人以上の場合は、必ず隊伍を組んで駈足をすることが鉄則となっている。更に、校内の階段は昇りは2段づつ、降りは1段ずつ駈足で行動しなければならなかった。
 このような躾は、海軍生徒をキビキビとした所作により、将来のスマートな海軍士官を養成する手段でもあり、それを目にした一般の社会人には清々しく、また、溌剌とした精気を感じさせたことであろう。
 しかし、昭和20年5月中旬に我々は神戸の垂水校に移転したが、ここでは谷間に食堂が開設され、この食堂への往復も当然駈足でなければならなかった。何しろ学校から相当下った低地の食堂であったから"往きはよいよい帰りは怖い”で、食後の帰りの坂の駈足は、手強い思いをした者が多かったのではなかろうか。
 鍛錬としての駈足訓育は、大別すると二つに分けられる。
 その第一は、早朝、”総員起し”或は”陸戦隊用意”の号令によって起床し、校庭に集合して当日の担当教官の指示により、全校生徒(1,2,3号の生徒全員)が各分隊毎に隊伍を組み、歩調を揃えて校外駈足に出てゆくものである。
 築地校の場合早朝駈足は、築地から出発して三原橋、歌舞伎座前、銀座四丁目、数寄屋橋を経て、日比谷で折り返し、帰校までの約4Kmが通常のコースであった。
 問題は、帰途、歌舞伎座の辺りで「歩度を伸ばせ!」の号令がかかり、殆んど全力疾走に近い駈足で校門近くまで帰ったものである。何が問題かというと、全国から困難な試験を突破して参集した海軍生徒は、頭脳は優秀でも体育の得意でない者が多い。従って、全力疾走で700m余りも続けて走れば息切れがして落伍する者が出ることは理の当然であり、隊伍も乱れてくる。無事校門に辿り着けば、体力のある者もほっとしたことは事実であった。勿論落伍した3号生徒は1号生徒から厳しい鉄拳制裁が加えられた。
 但し、3号生徒のみが落伍したのではなく、1・2号生徒の中にも落伍した者がいたのを見ていたが、この人々は、3号以上に辛かったであろうと推測する。
 また、早朝の駈足訓練の築地から日比谷に至る間は、その頃は殆んど車は勿論人の往来も少なく、静かで清々しい空気があたりを包んでいた。当時の沿道に在った家々の人達は、海軍生徒が紺の短上衣、袴、黒革靴に錨の徽章を付けた軍帽を被って、隊伍を組み足並みを揃えて駈ける様子を好感をもって見ていたのではないかと思う。”陸戦隊用意”の場合は、やはり早朝「陸戦隊用意」の号笛で跳ね起き、陸戦服に剣帯をつけ執銃で校庭に整列し、校門を出て、駈足で勝鬨橋を渡って月島の方面に約3Kmの駈足を行うものであった。これもなかなかキツイ訓練であった。
 昭和19年9月10日に海軍経理学校生徒は築地校から品川校に移転した。
 品川校においては早朝の校外駈足は、記録を捲ると殆んどはその年の11月一杯に限られている。品川海岸に面した地に在った学校の付近は当時、人家も少なく砂地が拡がっていて、駈足には好適の場所と思われたが、日米開戦より3年近くを経て戦局頓に不利となり、米機の夜間来襲もあって、防空壕に退避することが多くなり、そんな時は8時起床だったから、それが影響したためであったと思う。
 次いで昭和20年2月1日に品川校から垂水校に移転したのだが、垂水校は平地に在った築地・品川の両校とは異なり、垂水の丘の上に聳える旧神戸高商ほか隣接する2校の建物を使用した.。近辺の環境は山坂が多く、それも可成りの急坂であったためか、それに当時の戦局も影響したのか、その年の5月に2回緊急呼集がかかり15分間程度の校外駈足があったのみであった。
 その第二は、訓育科目としての駈足訓練である。
 築地校時代では、門前仲町往復5.6Kmや2,000mの疾走検定、又、陸戦服に執銃で宮城外堀一周7Kmの長距離駈足があり、いづれも体力・脚力に相当な苦痛を耐え抜く我慢の多い訓練であった。学年行軍でも一定区間駈足をさせられたが、30歳近い教官達も一緒に走ったのだからさぞききつかったことであろう。
 品川校に移ってからは、分隊対抗田町ロータリーまでの往復5Kmの駈足があった。
 垂水校になってからは、行程5Kmの個人早駈競走が行われている。
 以上が駈足訓練の概要であるが、これらを通じて海軍経理学校生徒の駈足に 「スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」たることを求めたのであろう。
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