剣     道
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 築地時代の剣道       渡邉 満雄
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  『総員起こし』から『巡検用意』まで、「スマートで九帳面な海軍生徒」たるべき訓育に、一日中、立ち止まる暇もないほど走り回り練習努力するが、何一つ思うように出来ない。
 早朝駆足・総短艇・海軍体操・柔剣道なども始まり、入校して一ヶ月、昭和18年は無我夢中のうちに過ぎつつあったが、12月下旬にはマキン、タラワ両島 ( ギルバート諸島 ) の海軍守備隊の玉砕も公表され、戦局の急迫がひしひしと感ぜられ闘志高まらざるを得なかった。
 昭和19年の新年を迎え、5日間は特別日課でほっとしたのも束の間、1月6日早暁の0530 ( 通常より30分早い ) 総員起こし、寒稽古が開始された。練兵場全体に初雪が積り、一面の銀世界。厳粛で幸先の良いスタートとなった。
 剣道場は入校時1号生徒に面倒を見て貰いながら軍装の着せ付けを行った場所 ( 正門から見て生徒館の左 ) であった。
 昭和の剣聖といわれていた有信館の中山博道師範や高須先生が来場され稽古が始まる。小柄な中山師範も掛かり稽古を許される。教官、1〜3号生徒入り乱れての乱稽古が圧巻であった。
 最初は寒気厳しく極端に緊張したが、次第に中学時代の寒稽古の経験が生きて元気が出て来た。初めの1週間 ( 1月6日から12日迄 ) は1部 ( 第1〜第8分隊 ) が早朝、2部 ( 第9第〜16分隊 ) が夜間。次の週 ( 1月13日から19日迄 ) は2部早朝、1部夜間と交代。寒稽古は30分早く起こされても矢張り早朝の方が気持が良い。2週間はまたたく間に過ぎ、20日に柔剣道検定、愈々1月23日 ( 日 ) 柔剣道大会を迎えた。
 剣道の部において、準決勝に3号生徒が2名が残り、優勝の栄冠は第5分隊の3号生徒 飯野滋君 の頭上に輝いた。 ( 私は四位 ) 。
 入校以来我が36期の評価必ずしも芳しいとは言えず、学年指導官にご心労をおかけしていたが、この快挙により、俄然見直されたと思うし、何よりも我々クラス全員の士気を高めること甚大なものがあった。午後は外出、互にこのことを語り喜びを分ち合った。
 彼はこの壮挙により、賞状と非常に名誉ある体育奨励賞メダルを授与された。  
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