寒風吹きすさぶ冬の校舎屋上での洗濯
 
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                       海軍は綺麗好き       西村忠弘
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  海軍軍人は大方綺麗好きである。甲板掃除も毎日2回徹底的に掃除する。新入生徒を送ってきた家族を校内の案内をした。その時ある父兄から「随分綺麗にお掃除が行き届いていますね」と言われた。案内をしていた1号生徒は、「そうです。甲板(床)は我々の死に場所ですから、軍艦でもいつも綺麗に掃除をしているのです」と答えたそうである。
 入校後の指導官の講話でも、服装は「身綺麗に・靴はよく磨いておけ」。特に「褌はダシ昆布のような汚れたものを締めていてはいけない。戦死をした時恥をかかないように良く洗濯をしたものをつけるようにせよ」と教えられたものである・
 生徒は夫々に、体育・訓練科目・生活上の諸分野ごとに、自分で選んで、いづれかの係生徒を務めなければならない。その中に洗濯係りというのもある。私は洗濯係りではないので、影でどのように努力していたのか詳かには解らないが、多分洗濯石鹸の配布や、各分隊から出された洗濯物を外部の洗濯屋に出す準備をしたり、受け取った仕上がり品を各分隊に届ける、あるいは洗濯代の徴収、毛布干し方の指示といった世話役をしていたのだと思う。
 第1種軍装(紺サージの冬物)・第2種軍装(白麻七つボタンの夏物)、緑の陸戦服、冬物ネルの上下の下着、寝間着、軍装の襟につけるカラー等は、外部の洗濯屋に出すことになってた。その他の白の事業服、夏の上下の下着、靴下、褌等は全部衣類に姓名を書いておいて、各自屋上の洗濯場で洗濯するのである。
 夏は良いが、冬は隅田川の川風がまともに吹き寄せるので、非常に寒い。と言うよりも水が冷たい。オスタップ(海軍では金属製の洗濯桶・盥のことをこう呼んだ,語源はwashtubのなまったもの)に汲んだ清水で、石鹸水を洗い流し、しぼって物干し紐に掛け、ピンでとめる。翌日乾いたらこれを取り込むのだが、ときどき無くなることもあって被服点検で員数併せに苦労した人もあったようだ。
 我々が入校した昭和18年の冬は非常に寒気が厳しかった。凍りつくような冷水で洗濯するため、暖地育ちの生徒は、凍傷(しもやけともいう)に悩み、医務室にいって置塩軍医大尉に診てもらい、リバノール液に浸したガーゼで手当される生徒が沢山いた。私は北国育ちのせいか幸い凍傷に悩むことは無かった。
  身の回りの被服は、ベットの枕元にあるチェストというスチール製のタンスにきちんと畳んで収納しなければならない。この整頓が悪いと1号から厳しく叱正を受け、制裁を受けることもある。海軍生徒の几帳面という躾はこういうところにも徹底していた。
 下図は、ベットの枕元に在ったチェストに整頓して収納した状況を示す図である。このほかにチェストの上には手箱という小物入れが有り、この中には、ハンカチ、眼鏡、白手袋、サスペンダー、カラーホック、カフスボタン、軍装に装着する肩章、チリ紙、針糸、替えボタン、鋏、爪切り、洗濯物を針金に留めるストパー、売薬などを入れていた。
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 寝具の毛布は白で各人4枚づつ備えつけられており、起床時には迅速・的確に1枚ごと正方形に畳み、4枚積み重ねて外に駆け出したが、遅いと1号に督促されて、整頓状態が崩れていたりするとこの毛布をひっくり返されたりと、しごかれたものである。
 ただ、一寸不思議に思って回想するのだが、あれだけ訓練に励んで汗にまみれた柔道着や剣道着を洗濯した覚えがない。夏になると汚れてカビ臭さかった。
 上図は、支給されていた衣料をチェスト内に収納した図である。この整頓についてもしばしば1号に点検され、折り畳みが不手際だと叱責され、整頓のし直しをさせられた。
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 被服点検について;
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  下の写真は年に何回か行われた被服点検の模様である・
全ての支給品をチェストから出して、チェストとベットのの上に並べ、員数が揃っているかどうか、洗濯・手入れが良く出来ているかどうかを上級生たる1号生徒が点検するのである。
 この写真の右奥に大きな鏡が見える。これで自分の服装・容姿を写して容儀を整えるのである。
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