食     事
 
 
 ・
                     士 気 即 是 食       西村忠弘
 ・
 食事について

 海軍生徒は成長盛りだし、訓練で体力を消耗するから腹が減る。「士気即是食」と言われる通り一日3回のの食事は楽しいひと時であった。
  食堂は第2生徒館・第4生徒館の各1階に在った。
  大体一汁二菜にお新香、ご飯はアルミの大きい碗に一杯、食堂の理事生が配食してくれたものを食べるわけであるが、ここにも躾があって、まず演壇上の当直監事が手をつけ、それから1号、2号、そして漸く3号が箸をつけることになる。食堂が二つあったから、当直監事が一方の食堂に出られれ、もう一方の食堂には、若い甲板士官が陪食に来ていた。
 体重68Kgi以上になると、増加食をいってひとまわり大きい碗に山盛りのめしが盛ってある。私の分隊では斉藤奈都夫1号生徒がその増加食であった。見ていて羨まく、当時65Kg位だった私は早く68kGgになりたいと思ったものだ。その斉藤1号生徒が体が大きく我々と2歳しか違わないのだから自分も腹は減るであろうに、その大盛りの増加食碗を3号に廻してくれるのである。3号の先任から順番に有り難く頂戴した。斉藤生徒は伍長補で3号を殴るとぶっ倒れるほどきついパンチで飛んできて痛かった。しかし、内心はこれ程情が暖かかったのである。34期が卒業をするとき”帽振れ”の別れで一番泣けたのは斉藤生徒の涙を見たときであった。
 昭和18年12月入校当時は、娑婆では食料は配給制でもう相当な食糧難になっていたが、この学校では比較的質・量とも充実していた。しかし、北から南から集まった生徒には食習慣の違いもある。誰が詠み始めたかは判らないが、こんな川柳があった。
      嫌なもの にしん鱈汁(たらつゆ) 總短艇
 私は北海道出身だから、鰊も鱈もほっけも嫌いではない。ただ、新鮮な捕りたてではないし、大勢の生徒のための調理だから、まずいのは確かだった。たまに鰤などが食卓に出ると西の連中はホクホクと喜んでいたのが印象的であった。
 食事時は生徒にとって楽しい団欒の場でもあったが、その後が怖い。早朝、午後の訓育や生活上の不手際に対して、猛省を促されるのは食後の食堂である。まだ、食べ終わっていないのに、当直監事が引いたあと、「○○分隊の3号聞け、本日の○○の体は何だ。猛省を促す。前へ出ろ。足を半歩に開け。眼鏡を取れ。歯を食いしばれ。ボイン、ボイン・・・・」
 3号に対して気配りのある分隊監事はゆっくり食事をしてゆかれるが、加藤源吉監事などは箸もつけずに退席される。すると。この猛省の時間が早くなる。その後食卓に戻っても口の中が切れていたりすると、味噌汁が滲みて痛い。以後早飯食いが習い性となった。戦後私は職場でも声の大きいのと早めし食いは有名であったが、これは海軍で身についてしまったものである

 海軍の隠語に「スカッパー」と言うのがあった。これは残飯を海中に投棄する筒孔のことだが、食堂で残り物でも何でも構わずサラって食べる大食漢の異称にも使われた。(この項門脇倹冶君寄稿)
 日曜日は外出して、外でたらふく食べてくるため、、夕食は学校でとらない者が多かった。しかも、日曜夕食の惣菜は生徒に不評の鱈汁(たらつゆ)のことが多かったこともあったろう。日曜外で食べ過ぎ食傷で嘔吐して便器が詰まったり、月曜日に医務室のお世話になる症状を「月曜カタル」と称していた。(この項門脇倹冶君寄稿)
我々は19年品川校へ、20年垂水校へと移転した。もう記憶が朧になったが、日に日に食の内容が落ちてきたという印象が残っている。特に垂水では栄養失調患者も出るくらいであったから、質・量共に窮乏しつつあったのであろう。しかし、その裏では学校当局の主計長は食材の獲得にさぞ苦心していたであろうと推察する。
 ・
 点心について
 ・
  夜には「点心」という有り難い時間があった。点心と言う有り難い時間があった。当時点心なる言葉は知らないまま使っていたが、今、辞書で調べて見ると、@禅家で昼食前に取る簡単な食事、A茶会などの茶請・お茶菓子、とある。海軍もなかなk粋な言葉を使ったものだ。
 午後6時の夕食後温習室で7時半まで予習・復習をした後、30分の中休みがある。、隔日(月・水・金曜日)、その後はもう少し頻度は減ったように思うが、「本日点心」と黒板に書いてある日は、この時間に寝具の用意を済ませた後、「酒保開け」の号令がかかり、食堂に入って茶菓を楽しむのである。これに何が出たか大方忘れてしまったが、忘れられないのが虎屋も羊羹一本丸ごと出たことである。嬉しかった。 羊羹の他には饅頭、10個位袋に入っている飴、汁粉等があったように思うが、そのほかはすっかり忘れて思い出せない。この点心の時間に誕生祝があり、その週に誕生日に当たる者が一席卓話をして皆に祝ってもらう。それにこれは誕生祝ではないが、生徒の中に余興のうまいのがいて、1号に指名されてそれを披露するという一幕もあった。わが分隊の澤山隆一君の浪花節は際物で、廣澤虎造。鈴木米若、春日井梅鶯などの曲詞を物まねで一こまづつ演じて大喝采を受けていた。こんな楽しいひと時もあったのである

 ・
                                          
  

 BGM ラッパ 食事 海軍軍楽隊OB